正社員辞めてみた

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新卒2年で会社を辞めた話

旧)「不幸な私」を辞める【新卒2年で会社を辞めた話 4】

2016/06/24

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新卒2年で会社を辞めた話 4。

会社で辛い想いをした人って、似たような考えを持つようになるのかな、と思う。

東京の会社を辞めて、地元に戻って公務員になった友達と、最近、2年ぶりに会って話した。その子は、顔立ちも可愛くて、お家柄も良くて裕福で、育ちの良くない私でも知っているお嬢様高校を出ている。

でも、学生時代からするとだいぶすれた感じになっちゃって、見た目の雰囲気からは似合わないようなことを愚痴っていた。(嫌な印象ではなく、私はすごく好きな感じ。)

『もうさ、最低限の生活ができる給料さえ貰えれば、それだけでいいんだよ。仕事なんて、適当で。』
『はぁー、寺ごもりでもしたい。』
『農業したい。』
『南の島に住みたい。』

 

それに対する私も、こんな感じ。(そのうち詳しくブログに書きたい)

「あ、そういえば、辞めてから、ひとりで高野山に行ったよ。」
「農業もしたよ。」
「南の島で、住み込みで。」

 

『さすが、ひよりー!私のやりたいこと、何でも、先にやってるね!』
『ニート先輩だね!!!』

可愛い子から、パイセン認定いただきました!やったぁ!!!

 

前回の話

f:id:hiyorico:20151225090857j:plain大炎上、そして限界【新卒2年で会社を辞めた話 3】
新卒2年で会社を辞めた話 3。会社を辞めたばかりの頃、一緒に飲みに行った友達が、「会社でものすごいミスしちゃって解雇されるかも。彼氏とも別れそうで今週末に話し合...

 

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同期のサボり話

お盆休みが終わって、結局、休み中も仕事をしていて、リフレッシュできなかった私は、相変わらず、憂鬱に会社に行った。

今までは「お盆休みまで」と頑張ってこれたけど、次の休みは年末年始、4ヶ月以上先だ。もう、そんなに働く気力はなかった。

 

私から全く音沙汰がないのを心配してLINEをしてきた母には、『忙しい。お盆も仕事した。ちゃんと寝てない。ごはん食べてない。』というようなことだけ返信した。

以前からずっと言われていたけど、やはり、辞めて実家に戻ってくるように言われた。

 

休み明けに研修があって、久しぶりに、全国から営業の同期10数名が集まった。同期のことは大好きだ。

 

研修後は、楽しい飲み会のはずだったんだけど、信じられない話を聞いた。

「朝9時に起きて、マネジャーに『取引先に直行します。』とメールして、お昼まで二度寝してる。」
「取引先の近くの駐車場に営業車とめて、2時間、昼寝したり、ぼーっとしたりして、また、次の取引先の駐車場に移って、ぼーっとする。」

そんなことを、みんな「わかる〜!」と、笑いながら話していた。

入社時の研修で、高学歴で英語もペラペラで、ものすごく真面目だったり、熱い想いがあったり、そんな同期たちでさえ、定時内に、家やネカフェでサボっているという話をしていた。彼らへの「優秀で真面目」というイメージが崩れた。

 

私は、これまでに、サボったことは一切なかった。忙しすぎて精一杯で、サボるという発想自体なかった。というか、サボったところで仕事は減らないから、翌日以降もっと辛い想いをすることになるだけだ。

 

私と同じ営業所に同期はいなかったけど、他の営業所にいる同期たちが「頑張っている」という噂を聞くことはあった。たまに、用事があって他の営業所に行くと、同期たちは、いかにも若手らしく必死そうに働いていて、それを見て、「私も頑張らなきゃ」と思っていた。

でも、結局、彼らは上司の目が届く場所では必死そうにしていただけで、いざ外回りに出たら、たいして働いていなかったんだ。

 

本当に、信じられなくて、悔しかった。

 

なんで私だけこんなに働いているんだろう。

 

周りの人より「不幸な私」

同期があまりにもサボっているので、気になって、社内の営業資料に、初めてしっかりと目を通してみた。

一番業績の良い部署は、営業マン200人中200位のビリでも、売り上げは前年比30%伸長になっていた。私の部署は、営業マン300人中、前年比プラスなのは上位30人だけ。あとの270人はマイナス伸長。

 

今まで自分の部署の資料にしか目を通していなかったので、どんなに頑張っても、計画をなかなか達成できないことが、普通だと思っていた。たしかに、今までも周りの様子を見ていて、私の部署が特に大変だというのは感じていたけど。他の部署の商品は、ほっといても勝手に売れるらしい。

 

私は、同期の誰よりも一生懸命働いている自信があった。私が一生懸命というよりは、そのくらい働かないと仕事がこなせないから、やむを得ずだけど。

 

毎日まともに食事もせずに5時間以上も残業して、ずっと必死に働いている私と、仕事をすべき時間にさえ家や営業車で昼寝している同期。

どんなに頑張っても、さらに業績悪化することが目に見えている私の部署と、ほっといても商品が売れる他の部署。

 

同期は、もちろん残業する日もあるけど、定時とかもっと早く帰る日もあって、家で料理を作ったり、花金に飲みに行ったりしている。会社の福利厚生で、毎週、英会話やビジネススクールに通って、スキルアップをしている。

 

「私がどんなに精一杯働いても、なんのスキルもノウハウもつかないのに、その間に、余裕のある同期たちはどんどん先に行ってしまう。」
「毎日、精一杯、仕事しかしていない私より、仕事をサボっていても英会話やビジネススクールに通っている同期の方が、人事からの評価も高い。」

取り残される焦りもあったし、自分だけこんな状況にいるのが悔しかった。

きっと、この前の夏のボーナスでも、人事部の査定に関する報告書を見ると、私は同期よりも少ない金額だったんだろうと思った。

 

まだ2年目なのに、もう、差がついてしまった。

 

 

時代の逆らえない流れ

私が同期の中でたった一人、配属された部署は、社内で一番、業績が悪い。

それは、元々歴史のある部署で、規模もシェアも大きいから、追ってくる競合が多いというのもある。でも、私は、業績悪化の一番の原因は、時代の流れやライフスタイルの変化によるものだと考えていた。

 

日本の、白物家電のシェアが海外メーカーに取られたり、軽自動車を選ぶ人が増えて普通車の売り上げが減ったり、そういったことと同じことのように思った。

お客様はそこまでのブランドや品質やスペックを求めていない。普通の用途で使えさえすれば良い。値段が安い方が良い。

 

そんな流れが私の働く業界でも起き始めていると思った。その流れは、これからもっと加速して、何年も続く。営業の一個人や、会社の力では変化を止められない。

私が、これからも営業として、どんなに頑張っても、取引はどんどん減っていくだろう。それは、私だけでなくベテランの先輩方にとっても同じだ。

 

会社の上の人たちは、営業力や信頼関係の問題だ、と現場の営業を責める。

でも、取引先の経営方針が変わったり、他社に同スペックであきらかに安い商品があったりすれば、営業がいくら努力したって、簡単に他社に切り替えられてしまう。

いくら信頼関係があったって、「いつも頑張ってくれているあなたには、本当に申し訳ないけど・・・」と、事前に断りをいれてもらえるだけだ。取引先にとっても、トップが決めた方針やコスト削減は最優先だから、当然だ。

 

時代の流れで、仕方のないことだと思う。

 

社内格差

私の配属された部署が、偶然、厳しい局面にあるというだけで、私の入った会社は、たぶんホワイト企業だ。

 

事務部には、営業成績が悪かったり、営業をできなくなったりして、異動した人がたくさんいる。

制作側は、監査が入ったりするからなのか、残業代はきっちり必ずもらえる。私の同期は、たばこを吸ったり、忘年会の幹事になって会場の居酒屋をググったりしてる時間分も、きっちりもらっている。

本社には、結婚出産して、時短勤務で働いている、おしゃれなお姉さまたちがたくさんいる。おしゃべりしながら仕事をして、お昼は外にランチを食べに行って、デスクでは旅行のお土産を配っている。

デスクでいびきをかいているおじさんたちも、たくさんいる。なかには、すごく偉い役職を持っているおじさんもいる。仕事を頼みに行くと、「それはお前の仕事だろうが!」と突き返されるし、そのくせに、暇なもんだから、おじさんたちが機嫌の良いときには、休日の趣味や大学生の息子の話に付き合わされて、私の時間を奪われる。

 

一方で、私の部署も含めて、大変な部署がいくつかあって、いつも同じメンバーで残業して、休日出勤していた。

そういう部署だと、企画や経営側として本社に引き抜かれた優秀な先輩方が、時短のお姉さま方が16時とかに帰って行った後に、日付が変わるまで働いていた。

 

仕事は、慣れれば楽になると思っていたけど、どんなに頑張っても、いつまでも楽にはならない。頑張った分だけ、さらに負荷が増やされていく。

若手の先輩方も、ずっと、辛そうに働いていた。

もっと上の、30代の先輩方は、「俺は、こんな『ブラック企業』の、『社畜』だから」と、自嘲していた。

さらに上の、40代以上の先輩方は、たぶん、もう頑張ることをやめているように見えた。ごまかしつつ最低限働いて、家族のために、お給料をもらう。

 

私は、元々、『社畜』という言葉が大嫌いだ。絶対に使いたくない言葉だった。

「社畜になったのも、ブラック企業で働くのも、全部、自分の行動の結果で、自分で選んだこと。嫌なら辞めればいいのに。」就活生のときにはそんなことを思っていた。

なのに、いざ、会社で長時間働くようになると、「今、私は、間違いなく、ブラック企業の社畜だ。」と思った。社畜以外に、自分をぴったり表現する言葉が浮かばなかった。

 

本気で「辞めること」を決意

元々、「辞めたい」ことが頭から離れなかったのに、同期のサボり話を聞いたのがきっかけになって、ますます、一人で色々なことを考えるようになった。

 

「私はなんのために生きているんだろう。」

 

毎日、本当に仕事にしか時間を使っていなかった。

なのに、私が仕事をしているのは、ただ「生活のため」で、それ以外の理由はない。自分が生きている意味がわからなかった。

 

そんな状況で働いていて、ついに、私は、仕事で大きなミスをしてしまった。

取引先で頼まれたことを、他にも仕事が溜まっているのにかまけて、後回しにした。やっと取り掛かった頃に、電話が来て「どうなってるんだ!?なめてんのか!?」としばらく怒鳴られて、一方的に電話を切られた。あとは、「お前に話すことはない。」と、もう私とは話をしてくれなかった。私は出禁になった。

新規取引契約できたかもしれない案件は、翌年以降に延期になった。マネジャーやチームの先輩に、また、ものすごい迷惑を掛けてしまった。

 

「もう、本当に、私って最悪だ。」

 

「死にたい。生きている意味がわからない。」

 

 

休日、一番仲良しの同期とごはんに行って、初めて「会社を辞めようと思う。」と、自分の考えを話した。

その同期も、私が毎晩遅くまで働いていることや、私の部署の大変さを知っていたので、「たしかに、辞めてもいいと思う。」と言ってくれた。

「でも、せっかくここまで働いたんだから、12月まで頑張って、ボーナスもらってから辞める方が絶対にいいよ!」

 

私はもう、明日会社に行くのも辛い。

12月なんて、まだ、3ヶ月以上も先だ。そんなに耐えられない。

 

でも、たしかに今退職したら、東京で一人暮らししている私は、生活できなくなる。実家に戻るのは、絶対に、嫌だ。

「もう本当に無理だし、本当に働きたくない!」そう思うけど、生活のために、なんとか我慢するしかない。

 

私は、12月まで働いて、ボーナスをもらってから退職することに決めた。

 

プライベートの手帳に、とりあえず、12月25日を『退職日』として、11月下旬に『マネジャーに退職の旨を伝える』と書き込んだ。

スマホのアプリで『退職日まであと○○日』とカウントダウンを設定した。

 

振り切ってみたら、まさかの復活

ゴールを決めて、辛い状況の終わりがみえたことで、徐々に、私は精神を立て直していったように思う。私は、意図的に「考える」ことをやめた。

 

「仕事に意味なんてない。やりがいもいらない。業界の厳しい状況なんて、どうでもいい。同期や色々な人が、サボっているのも、私には関係ない。」

「ただ、『仕事』だから、やる。やるべきことを、つべこべ言わずに、ただ、丁寧に全力でやる。」

 

たまに、ものすごく気分が落ち込む日もあったけど、ひたすら、全力で働いた。

働きすぎて、「辞めたい」ことを考える時間もなくなった。

 

私は「辞めたい」ことを忘れた。

 

体力もついてきたのかもしれない。重い荷物による慢性的な肩こりや、ヒールの中で足がボロボロになって痛いのにも慣れた。毎晩23時まで仕事をするのにも慣れた。

 

ずっと、もう精一杯だと思っていたけど、そんなことなかった。

 

私は、もっと働けた。もっと働いた。

 

日付が変わって帰宅してからも、部屋でパソコンを開いた。

毎週金曜日には、23時に退社した後に、近所のファミレスに行って、やっと、その週のちゃんとしたごはんを食べた。それから、閉店の深夜2時まで、ドリンクバーのコーヒーを飲みながら、その週の終わらなかった分と、翌週に向けた分の事務作業をした。

 

私の部署では、平均して月2回の休日出勤があり、代休も取れる雰囲気ではない。でも、休日手当が出る分、平日のサビ残よりずっと良いと思って、頼まれた時には積極的に出勤した。

もう、休むことはどうでもよかった。

 

結局、このペースは退職するまで続いて、私は病院で点滴を打つレベルの体調不良以外は、一度も、有給を取らなかった。

花金とかなにそれ? って感じで、一度も、定時に帰宅したことはなかった。年に5回くらい、会社の行事としての送別会や忘年会の日だけ、時間に間に合うように会社を出る。それだけだ。

 

先輩と「最近きついから、今日は早く帰ろうよ。」って、22時台に「やったー!今日は早く終わったー!」って言いながら帰宅した。21時台に終わったときには「奇跡だ。まだ『今日』がこんなに残ってるなんて!帰ったら何しよう・・・!」って言いながら帰宅した。それも、社会人2年目の1年間で、10回くらいかな。

 

社畜自慢というより、そんなに、振り切って全力でやれたのが、私にとっての奇跡だ。ずっと、もうダメだ限界だ、と思っていたのに。

 

仕事のメリハリ

その一方で、休日には仕事をしないようにした。家ではパソコンを開かないようにした。携帯電話も家に置いて出かけた。

 

プライベートも、友人との連絡を絶っていたけど、たまには多少無理をしてでも遊ぶようにした。

 

土曜出勤のイベント会場から、そのまま新幹線に乗って、友人たちが泊まっている旅館に20時過ぎに合流したこともあった。ごはんを食べて、温泉に入って、楽しい夜の女子会のはずが、即、寝落ちしてしまったらしく、気づいたら朝だった。

仕事用のヒールとスーツのスカートで観光地を歩いた。それでもよかった。

 

富士登山をしたときには、金曜の残業で日付が変わってしまい、5時間睡眠での登山だった。睡眠不足からか、山小屋で高山病になり、一睡もできずに吐き続けた。本来なら下山するべきだけど、自分の中で即下山する条件を決めて、そのまま登った。酸素ボンベを吸って、たまに友人が荷物を持ってくれて、助けられながら登頂した。

翌日、月曜日には普通に会社に行った。私は、富士登山は初めてではなかったけど、今回、まったく筋肉痛にならなくて、それは初めてのことだった。

「やっぱり、普段から営業で重い荷物持って、足腰鍛えてるからね。さすが。」なんて、自分の成長? を感じたりした。

 

仕事内容でも、経験を積んだおかげか、今までは調べて出直さないと答えられなかった問い合わせに、その場で対応できることがだいぶ増えた。

7月に大炎上した取引先も、色々なラッキーが起きたり、私の熱意を汲んでくれたりして、なんとか無事に収束した。私のミスで出禁になった取引先にも、許してもらえて、また、私の携帯に直接、問い合わせをもらえるようになった。

 

 

「私は、まだ、限界じゃなかったんだ。」

 

 

10月頃には、「もう大丈夫だ。」と思った。 

たぶん、ゴールを決めたことで、やっと覚悟が決まったんだと思う。

 

 

つづく

 

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