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学生時代の初海外旅行でインドボランティアへ!私の常識は破壊された

2016/07/12

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とりあえず、今回は、自己満足だとか、無駄だとか、意識高い系だとか、馬鹿だとか、勉強しない学生はダメだとか、そういうのは置いといて、私がインドで経験したことを伝えたい。

本来は、青年海外協力隊とか、継続して世の中のために取り組んでいる方でないと、私には語る資格は無い、ということもわかっている。ただ、こういう体験談が、何かのきっかけを探している学生さんや、海外に行ったことのない方にとって、少しでも役に立つこともあるかもしれないと思って。

5年前の、21歳の私が経験したものごと、当時の私が見たインドのことを書きました。

 

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(ちなみに、5年前の混沌としたインドの写真を載せようとしたら、パソコンを変えたときに消失してしまったらしい。悲しい。半年前の旅行の写真を載せます。)

 

「そうだ、インドでボランティアをしよう。」

初めてインドに行くことを決めたのは、突然のひらめきだった。

 

大学2年生の終わりの、春休み。その頃、私は、大学を辞めようかなと考えていた。

たぶん、全然、本気で考えていたわけではなかった。ただ、大学の講義もつまらなくて、友達と遊んでなんとなく楽しいなっていうだけの毎日だし、大学3年生になると就活が始まるのに、やりたい仕事も無いしで、もやもやとしていた。将来が漠然としていた。「このまま大学を卒業することに、意味はあるのかな」と、考えていた。

受け身で流されて大学に入った学生の典型だ。真面目に勉強もしていなくて、暇だったんだと思う。

 

そんなときに、ふと、私の頭の中に『インド』が浮かんだ。たぶん、インドで自分探し をするような話を、どっかで見聞きして、それが頭の中に残ってたんじゃないかと思う。

それまで、まともに海外旅行をしたことがなくて、『海外旅行をする』っていうのは、すごく良い考えなんじゃないかと思った。それで、ヨーロッパとか、南の島のリゾートとか、人気の観光地も候補として、考えて直してみたんだけど、やっぱり、私にとっては、インドだった。

当時の私は、インドというと、発展途上で、カーストがあって、物乞いがいて、数字やITに強くて、カレーを食べる、ということくらいのイメージしかなかった。調べてみると、タージマハルがあるらしい。世界史で習ったやつだ。その程度しか、知らなかった。でも、インドに行ってみたかった。

 

今後、社会人になって、長期休みを取れたとしたら、ヨーロッパや南の島のリゾートに行くことはあると思う。でも、その貴重な休みに、わざわざインドに行くかって考えると、たぶん、行かない。今を逃してしまったら、二度と、行くことはないだろうと思った。(結局2回目も行ったけど)

 

インドは、今、ものすごい経済発展をしている。発展途上国としてのインドを見ることができるのは、今だけだと思った。今後、いつか、インドに行くことがあるとしても、今とは違うインドになっているんじゃないかと思った。

社会人になって、海外旅行をする機会はあると思う。でも、学生で時間がある今のうちにしかできないことというと・・・。ボランティアだ。

 

「インドで、ボランティアをしてみよう。」

 

インドが頭の中に浮かんできてから、その日のうちに、ネットで出てきた、インドでのボランティアツアーに申し込んだ。

 

(いつも、ひらめきで、突拍子もない? 行動をしがちな私です。)

f:id:hiyorico:20151230212851j:plain会社を辞めたので、南の島で農業をしてみた話。島の生活と景色。
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インドでボランティアをするっていうのは、社会人にとってはハードルの高い、大学生である今だからこそできることだと思った。そんな感じで、ひらめきで、軽い気持ちで行ってしまったんだけど、インドは、衝撃的な場所だった。

 

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インドの衝撃

インドは、衝撃的な場所だった。

空港を出た瞬間から、日本ではありえないことだらけだった。日本の「あたりまえ」は、インドでは通用しない。

 

人、人、人、車、車、馬車、牛、犬、人、人・・・。インド人にとっては、車線なんて関係ない。交通ルールもない。歩行者は、「止まれ!俺が渡ってるから!」みたいに、車に向かって手をかざしながら、横断歩道もない大通りを渡ってくる。赤信号で、窓を外から叩かれたと思うと、あっという間に、車が物乞いに囲まれている。

ボロボロの布をまとって、髪はボサボサで、身体は骨と皮膚。そんな人たちが、何かをヒンディー語で叫びながら、伸ばしてくる、手、手、手・・・。

 

「目を合わせてはいけない。」そう思った。

 

こんなにたくさんの人たちに、お金を渡し始めたらキリがないし、何もできない私が、口をきいたり、何かを期待させるような行動をしたりしてはいけない。街中にいる、たくさんの人たちを、見て見ぬフリをして、そこにいないかのように振る舞うことしかできなかった。

手足が無い人、地面を這っている人、赤ちゃんを抱いたお母さん。赤ちゃんを抱いた3〜4歳くらいの子供、周りに親らしき人は見当たらない。

そんな人たちが、たくさん、いくらでもいた。

 

マザーテレサの家

ボランティアをする場所は、コルカタにある『マザーテレサの家』だ。

私は、他の10名くらいのツアー参加者と一緒に、老人・病人の家(プレム・ダーン)という施設に行くことになった。結核、肺炎、マラリア、身体障害、知的障害などの患者さんがいる。シスターが、そんな患者さんのお世話をしていて、ボランティアは、そのお手伝いをする。

 

マザーハウスという、マザーテレサの家の本部で、朝の7時前からシスターのミサがあり、座って見学する。ボランティアには、チャイとパンとバナナの朝食が振る舞われる。それから、各施設に移動する(死を待つ人の家や、子供の家など、いくつかの施設がある)。

老人・病人の家は、スラム街のど真ん中にある。行き帰りのタクシーでは、やっぱり、窓を叩かれて、たくさんの人が手を伸ばしてくるし、道も狭く道路も悪いので、なかなか前に進まない。

 

ボランティアの仕事内容は、掃除、洗濯、食事の手伝いなどだ。

 

マザーテレサの家で、まず驚いたことは、「これが、病気の患者さんが過ごす施設なのか。」ということだ。

病院のような場所をイメージしていたけど、全然、違った。

例えると、学校の渡り廊下みたいな感じかもしれない。コンクリートの建物で、窓ガラスも無い。コンクリートの床の上に、ベッドとも呼べないような、低い木の台が並んでいて、そこに患者さんが横になっている。1人1台ではない。セミダブルくらいの大きさに、2〜3人、足も伸ばせない。ただ、患者さんはガリガリに痩せていて、ものすごく小さいので、そんなスペースでも隙間があった。全員、丸刈りにされていて、頬はこけていて、年齢もわからない。

 

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今日を生き抜くこと

私たちは、5日間という短期間のボランティアだったので、簡単な仕事を割り振られる。

まずは、シーツやおむつを洗濯した。水道で、素手で洗う。破れていたり、茶色っぽい大きなシミが付いていたりする布を、ひたすら洗う。洗い終えたら、絞らないといけないんだけど、シーツだとかなり大きな布だし、水で手が凍えているし、うまく絞れない。2人がかりで、なんとか、洗って、絞る。

 

洗濯が早く終わると、食事の手伝いをする。

ビスケットを砕いて水を加えたような、お粥みたいな食べ物を、スプーンですくって、患者さんの口元まで運ぶ。患者さんは、寝たきりで、自分でスプーンも持てない。食べ物を差し出しても、口を開けてくれないし、目もずっと閉じたままで、今、自分が食事をしているのだと理解しているのかさえわからなかった。

どうしようかともたもたしていると、通りかかったシスターが、「そんなんじゃ、ダメに決まってるでしょ?」みたいな感じで、私たちから、皿とスプーンを奪い取るようにして、お手本を見せてくれた。患者さんの頭を掴んで、こちら側を向かせて、無理やり、口を開けさせる。そこに、スプーンを押し込む。患者さんは、横になっているので、お粥状の食べ物を口に入れたら、当然、むせる。口から食べ物があふれて、ベッドにこぼれる。だから、さらに、コップの水を口に流し込んで、食べ物を飲み込ませる。

 

「あぁ。ここにいる患者さんたちにとって、食事は、生きるためのものなんだ。」

 

シスターのお手本を見て、とにかく、食べさせなければならない、ということがわかった。他のボランティアの子と一緒に、必死になって、なんとか食べさせた。一人が、頭と口を押さえて、もう一人が、スプーンで食事を運んだ。

食事が終わったら、皿洗いをする。

 

患者さんたちは、本当に、そこにいて寝ているだけのように思えた。

私がイメージしていた、医療や、治療なんてものは無かった。患者さんによっては、食事の後に、シスターが薬を飲ませている。でも、それだけだ。

ボランティアとして滞在するのは、1日のうち、たった5〜6時間くらいだから、それ以外の時間に、もしかすると、治療や診察をしているのかもしれない。ただ、当時の私が見た限りでは、何もかもが、全然、足りていないように思えた。1人1台のベッドも無い、清潔なリネンも無い、パジャマも無い。

毎日、床掃除をするのに、モップさえ無い。たぶん元々はシーツだった布の切れ端を床に置いて、それを棒で押さえて少しずつ左右に動かしながら、床を拭いていた。

 

衝撃だった。

 

この患者さんたちは、日本に生まれていたら、たぶん、助かっていたはずだ。でも、ここに、目の前にいる患者さんたちが、また回復して元気になる姿は、私には、どう考えても想像できなかった。

 

インドで見た笑顔

お昼前に、ボランティアの仕事が終わると、建物の外の庭で、チャイが振る舞われる。世界中から集まっているボランティアの人たちと、話をする。本当に、色々な国の、色々な世代の人たちが集まっている。

大きなお金や力を動かす仕事を引退してきた、志の高そうな人から、ふらふらとインドに流れ着いて沈没(バックパッカーが観光もせずに一箇所で長期滞在すること)して、なんとなくボランティアをしている人までいる。色々な人の、色々な人生がある。

ただ、共通しているのは、貧困や疫病や差別だとか、人助けだとか、そういう難しいことは感じさせない、明るさのある人たちだった。

 

その後は、建物の2階で、患者さんたちとおしゃべりをする。とはいっても、お互いに、英語を話せなくて、言葉が通じないのでジェスチャーだ。

1階にいる患者さんは、本当に寝たきりで、シーンとしている。たまに、奇声や、トイレに行きたいとシスターを呼ぶ声がするだけ。でも、2階にいる患者さんは、まだ、元気だ。

患者さん同士、歩き回って、おしゃべりしたり、手をつないだりしている。内容はわからないけど、こっちを指差して、くすくす嬉しそうに笑いながら、内緒話をしている。一緒に踊ろう、と誘ってくる。折り紙を折ったり、マニキュアを塗ったりしてあげると、ニコッとして、とても喜んでくれる。今までにボランティアから貰った、折り鶴や、マニキュアの小瓶や、ビーズのアクセサリーを、大事に持っていて、宝物のように見せてくれる。

私たちが帰るときには、また来てね! って、笑顔で手を振ってくれる。

 

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誰かのために、尽くすこと

「ボランティアは偽善だ」

そう言う人がいるけど、私は、インドに行って以来、絶対に、そんなこと言えない。

 

「ボランティアをやっている本人は、『相手のため』って思ってるかもしれないけど、それも、自己満足だ。」

そんな意見も、何回も聞いたことがある。たしかに、私の場合は、1回、短期間、行っただけで、継続性もないから、偽善かもしれない。

 

でも、ボランティアをしている現地に行くと、本当に、心から、すべてを相手のために捧げて、尽くしている人たちがいる。どう見たって、偽善だとか、自己満足だとかいう言葉は当てはまらない。

マザーテレサの家にも、数年間ずーっと、ボランティアを続けているという人たちが、たくさんいた。もちろん、なんの見返りもないのに、ずーっと現地のために尽くしている。きっと、そういう人たちがたくさんいる中で、インドでは、マザーテレサやガンジーが有名になったんだと思う。

 

私たちがボランティアをしたときには、もう1年半もマザーテレサの家にいるという、30代半ばくらい日本人男性がいた。お金が無くなったら日本で働いて、ボランティアをするための貯金ができたら、またすぐにインドに戻ってくる、という生活を、ずっと、何年も続けているらしい。

 

現地でしか知れないこと

その男性とは、ボランティア期間中、何回か話をした。

「ここに来る途中のスラム、見た?」

「この施設に入れる人たちは、安全で、食事と寝る場所があって、幸せな方なんだよ。」

 

元気な、やんちゃそうな男の子が走ってきて、男性に飛びついた。楽しそうに笑いながら、何かを話しかけている。男性も笑いながら、鬼ごっこのように逃げようとする男の子を、捕まえて抱きかかえた。

「これ、何かわかる?」

男性が、私たちに、男の子の腕を見せてくれる。リストカットのような、細い切り傷が無数にあった。

「マリファナを打った痕だよ。中毒になると、吸うのでは物足りないから、こうやって、切ったところから、直接、身体に差し込む。」

男の子は、たぶん、日本にいたら、小学校1年生くらいにみえた。

 

「この子のお母さんは、電車から落ちて、足を切断して、今、この施設に入ってるんだよ。」

「この子は、まだ小さいから、特別に、この施設に保護されて住んでいるけど、もう少し大きくなったら、ここを出て、自分の力で生きていかないといけない。」

 

男の子は、男性の手を振りほどいて、笑いながら、逃げていった。

 

私たちが、ボランティアツアーに参加して、ここに来ているということを知ると、男性は、苦い顔をしていた。

「マザーテレサは、この施設が、少しでも、お金儲けや営利目的に使われることを、ものすごく嫌っていたんだよ。だから、ボランティアをしてみようっていう気持ちは大事だけど、もし、次に来るときには、自分たちの力で来れるといいね。」

 

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外の人には、中のことはわからない

ボランティアが終わってからは、観光で、タージマハルをみたり、バラナシでガンジス川をみたり、ジャイプールで宝石の展示をみたりした。日本にはない異国の風景は、とても美しかった。色々な宗教があって、お葬式をしているところも、ちらっと見た。

明日生きられるかどうかもわからない人たちがいる一方で、見るからに高価なものを身につけているお金持ちも、たくさんいた。

 

日本人観光客も、インドでは、圧倒的にお金持ちだ。

小中学生くらいの物売りが、ちゃっちいおもちゃや、ビンディ(インドの女性がおでこの真ん中に付けているやつ)のシールを「買ってくれ」と、しつこく着いてくる。いらないと断っても、いつまでも着いてくる。

あまりにもしつこいと、私たちのツアーガイドさんが、私たちにはわからない言葉で、何かを、物売りの子供たちに怒鳴りつける。そうすると、子供たちは、少し悲しそうな悔しそうな顔をしながら、しぶしぶ去っていく。日本語を勉強できる環境で育ったガイドさんは、インドでは、超エリートだ。

ヒンディー語で、どんな意味の言葉を、子供たちに怒鳴りつけているのかは、わからない。でも、それがインドの文化で、インドの「あたりまえ」だ。

 

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ほんの少しでも行動できたら

『マザーテレサの家』で、たった5日間だったけど、過ごしてみて、この施設の状況と、塀の外のスラム街の状況を考えた。

日本ではありえないことがたくさんあった。何が良いのか悪いのか、何が正しいのか間違っているのか、考えた。

 

私に何ができるのか、考えてみたけど、今もまだ、答えはわからない。

 

でも、行動してみることや、経験から学ぶことの大切さには、気づいた。私は、何もせずに意見を言うだけの人になるよりは、ほんの少しでも行動できる人になりたいと思った。

振り返ってみると、あのときインドで見たものごとが、私の人生に、少なからず影響を与えている。

 

次に、インドに行くときは、自分の力で行ってみたい。一人で空港に着いて、スラム街の中の、マザーテレサの家までたどり着きたいと思う。私が行ったって、何も変わらないけど、ちいさな行動を、積み重ねていくことが大切だと思う。

 

インドには、ものすごく美しいものや汚いもの、ものすごく尊いものや醜いもの、なんでもある。生々しく、生と死がある。日本や、私が行ったことのある他の国とは、違う。

 

街を歩くと、意味のわからないものごとがたくさんあって、インド人がジロジロとガン見してくる。インド人って、本当に、うさんくさい。超、ぼったくってくるし、騙してくるし、嘘ばっかり言う。私にとって、インド人がうさんくさいっていうのは、褒め言葉だ。インドが好きな人なら、わかってくれるかな。うさんくさくて、楽しそうで、私は、インド人が好きだ。

 

騙されたり、腹痛になったり、ひどい思いをするんだけど、また行きたくなる魅力が、インドにはある。「インド病」っていう言葉があるらしいんだけど、こんな長文を書いてしまったなんて、私も、インド病の予備軍かもしれないと思った。

 

私は、インドが好きです。

 

 

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