正社員辞めてみた

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新卒2年で会社を辞めた話

旧)自分との戦いと、12月【新卒2年で会社を辞めた話 5】

2016/06/24

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新卒2年で会社を辞めた話 5。

これは、まだ誰にも話したことのない、私だけの秘密だ。

営業車を運転していると、特にこの時期、都内は普通に10km以上の渋滞になる。私は、外回りを終えて営業所に戻るのに2時間以上掛かったりして、慢性的な睡眠不足だと、どうしても、眠くなった。コーヒーやガムなんかでは効かない。

 

ある日、私は、画期的な方法を見つけ出した。眠くなったら、スーツのジャケットを脱いで、シャツ1枚になって、腕まくりもする。暖房を、冷房に切り替える。最低温度の18℃にして、MAXの風量が、顔面に直撃するように設定する。

そして、『Let It Go』を、熱唱する。(エルサっぽい振り付け付きで)

私は、毎晩、営業車で、アナ雪ごっこをしていた。毎晩、レリゴーを熱唱していた。すると、絶対に、目が覚める。凍えて、鳥肌が立つ。歌詞も、「どこまでやれるか自分を試したいの」とか、「これでいいの」とか、私のような女社畜にはぴったり!

 

あとは、営業してると、ものすっごくイライラすることもあるけど、そんなときには、エレクトリカルパレードを流す。 安全運転になるし、歩行者にも手を振りたくなるよ!

 

他の人に見られると気まずいから、大型トラックとかと並走してて、運転席の自分の姿が周りから見えない時にやるのがおすすめ!

頑張る営業マンのための、ライフハック紹介でした!!

 

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どよんとした内容を中和する、癒しのほっこり画像!  

 

前回の話

 

f:id:hiyorico:20160109235303j:plain「不幸な私」でいることを辞めたら、辛い社畜から抜け出せた【新卒2年で会社を辞めた話 4】
新卒2年で会社を辞めた話 4。 前回の話  なぜ私だけが辛いんだろう私が追い詰められている間、同期はサボっていたお盆休みが終わって、結局、休み中も仕...

 

ひたすら自分との戦い

10月頃には、「私は、もう大丈夫だ。」と思った。

たぶん、ゴールを決めたことで、やっと覚悟が決まったんだと思う。

 

たしかに、仕事の状況は、客観的にみてもきついと思う。

でも、夏までの「辞めたい」と思っていた私は、結局、色々なことを、自分以外のもののせいにしていた。周りの人と自分を比べて、不満を言っていた。

それが、覚悟を決めて、妥協せずに全力で取り組んでみると、周りのことがどうでもよくなった。余計なことは考えずに、ひたすら、やるべきことをやった。

 

すべて、自分との戦いになった。

 

お給料とか、評価とかも、辞める私にはもう関係ない。損得はどうでもいい。

限界まで全力でやることも、表面上だけ取り繕って妥協することも、どちらでも選べるけど、自分がやったことは、きっと、いつか自分に返ってくる。

なんというか、自分自身の、意地やプライドだけを原動力に、猛烈に仕事をした。

 

自分の営業成績に関係無くても、社内でお世話になっている先輩方や、取引先が喜んでくれるようなことであれば、なんでもやった。

「私のような営業なんて、どうせ、人間でもなんでもないですし、文句も意見も言いませんよ。お好きなように、いくらでも使ってください。使い捨てOKですよ。」と、割り切って、心の中では開き直りつつも、相手のために最善を尽くした。

そんな感じでも、全力でやっていれば、周りの人はちゃんと見ていてくれるものらしい。

 

マネジャーには、相変わらず毎日怒鳴られるけど、その時間は短くなった。笑って話もできるようになった。

私の社内での評判は、たぶん、「(精神的に)大丈夫なのかな?」から、「(働きすぎだけど)大丈夫なのかな?」に変わった。私がなんでもやるので、私の仕事とは本当に全く関係の無い、面倒な頼まれごともあったけど、そういうことを積み重ねていくことで、信頼関係ができたように思う。

 

社内の先輩方は、私が「新入社員だから」今までも助けてくれていたけど、「私だから」助けてくれるようになった気がする。他の同期や若手の先輩方と比べると、私は、なにかと特別扱いしてもらえた。色々な情報を教えてもらえたり、私の営業成績にプラスになるような段取りを組んでもらえたりした。

チーム内でも、アラフォー以上の先輩方の中に、私だけ新入社員で女性で、ずっと距離感とかにも気を遣われていたけど、やっと、営業マンとして、チームのメンバーとして受け入れられたような気がした。

 

取引先も、人間関係や内部事情など、本音をこっそりと教えてくれるようになった。

男性だらけの営業マンの中に、若い女性が一人混ざっているだけで、珍しかった。たぶん、同じことをしているだけでも、若い人の方が、必死さがある。「おじさんの営業マンは口だけで、いい加減だから、嫌だったのよ。」と、女性が窓口になっている取引先では、特に可愛がってもらえた。

他社の仕事まで頼まれたけど、それをこなしているうちに、一気に、私の取引の話も進んだ。

 

営業的に、気に入られるために媚を売ったり、見栄を張ったりするのが苦手だったけど、もうその必要はなかった。ただ、正直に、全力で、相手のために行動していたら、評価してもらえるようになった。

 

奇跡の12月

覚悟を決めて、全力で取り組めるようになって、相変わらず、体力的には大変だし、ミスもするし、落ち込む日もあったけど、気づくと12月になっていた。

「そんな時期まで働くなんて、無理!」と、あんなに思っていたのに。私は、ボーナスをもらった。

 

12月に、以前から取り組んでいた大口の新規取引契約が2件決まった。

ただでさえ年末で忙しいところに、新規契約が2件も入って、ますます忙しかった。毎日、関連の取引先に通いつめて、打ち合わせをして、その度に資料を作り変えた。朝から晩まで走りまわって、たくさんの人に「お願いします!」と頭を下げた。

私の営業車が、しょっちゅう、駐車場に日付がまわってから入庫し、また翌朝7時までには出庫していることを、人事が見つけて、厳重注意された。すぐに営業所内で噂になって、先輩方に「またか。お前は何やっても怒られるんだな。笑」と励まされた。

 

新規契約は、夏からずーっと取り組んでいた案件で、取引先に頼み込んで、予想外に急展開した。マネジャーに「そんなんで、いつまで経っても、決まるわけないだろ!」と、いつも怒鳴られていた。

マネジャーが、いつものように怒鳴る体制で「あの件、どうなってんだよ!?」と聞いてきたときに、「年内に決まることになりました。」と報告すると、「お、おう・・・、そうか。最後までちゃんと詰めろよ。」と、拍子抜けした感じになって、やっと、私は怒鳴られずに済んだ。

周りで見ていた先輩方も、「まさか、決まるとは思わなかった。よくやったな!笑」と言ってくれた。やっと、先輩方に、少しは恩返しできたかなぁという気がした。

社内のサイトにも、私の名前と新規契約の金額が大きく赤字で掲載された。

 

睡眠時間もさらに減って、体力的につらかったけど、夏の頃のような、精神的な消耗はなかった。

 

立ち止まって、ふと、考えてみると、あんなに嫌いだったはずの仕事に、いつの間にか、充実感を感じるようになっていたみたいだ。

 

仕事に集中していて、プライベートの手帳やカウントダウンアプリを開くこともなく、気づくと、退職予定日だったはずの、12月25日になっていた。当然、クリスマスも、取引先に飾られているツリーを見たり、六本木や表参道辺りで大渋滞に巻き込まれたり、首都高からスカイツリーや東京タワーのライトアップを見たりした以外には関係なく、いつもどおり働いた。

 

ひとりっきりの年末

年内の業務が無事に終わって、あんなに遠いと思っていた、年末年始休暇になった。

 

年内最終日の定時に、そのまま新幹線や空港に向かって、帰省して行った先輩方もたくさんいたけど、私は、東京の私の部屋で、ひとりで過ごすことを決めた。私の実家は、この時期に東京から帰省すると、どんなに安くしても飛行機代で5万円以上掛かる。

両親が離婚してから、私が住んでいた実家は売却されて、母は小さなアパートを借りていた。父がどこに行ったのかは聞いていない。

わざわざ、飛行機に大金を掛けて、母に会いに帰りたいとは思わなかった。私が知らない母のアパートの部屋も、私の実家、居場所だとは思えなかった。

 

大好きな祖父母のことを思うと、帰りたい気持ちもあった。妹や、親戚や、仲良しの友人たちにも会いたかった。「でも、まあいいや。今年は。」

今は、仕事を全力で頑張ると決めていたし。

 

それに、母にとっての娘は、私ひとりだけではなく妹もいる。祖父母にとっての孫も、私ひとりだけではなく他にもいる。友人たちにとっての友人も、もちろん私だけではない。べつに、年末年始のお祝い、楽しい席に、私がいなくてもなんら問題ないと思った。

「私は、他の誰かにとっての、絶対的な存在ではないんだ。」なんてことを考えていた。

 

死を意識した出来事

『辛い』『死にたい』ということを考えなくなってからも、『生きる意味』的なことが、頭の中をぐるぐるとまわりだすことはあった。

 

だんだん寒くなってきて、クリスマスソングが流れ始めた頃、私は、倒れた。

 

私は、子供の頃から貧血持ちで、小学校の全校集会で毎週倒れる、みたいな、保健室の常連さんだった。中学で運動部に入ってからは、体力もついてきたんだけど、やはり、過呼吸や立ちくらみに悩まされる。大学生になって、東京に出てきてからも、年に2〜3回は電車で気分が悪くなり、駅の救護室にお世話になっていた。

全く自慢できることじゃないけど、日常生活で、立っていて、突然、バタッと倒れるということには、普通の人よりは慣れている。

 

でも、社会人になってからは、気が張っているのか、体力的に自分を酷使しているのにもかかわらず、倒れることはなかったし、風邪も引かなかった。

 

それが、ある晩、深夜の3時頃、身体に今までに感じたことのない症状があり、目が覚めた。その日も、いつもどおり残業して、帰宅してすぐベッドに入って、2時間くらい眠ったところだった。

倒れることには慣れている私も、これがいつもと違う症状であることはわかった。倒れても、横になっていれば回復するのが私にとっての普通で、横になって眠っている状態なのに気分が悪くなることは、普通ではなかった。

 

目が覚めて、「どうしよう」としばらく布団にくるまっていたけど、すぐに猛烈な吐き気がした。立ち上がれないので、四つんばいでトイレまで行った。

30分くらいトイレにこもっていて、症状は落ち着いてきたけど、「これはダメだ」と判断した。7119に電話して、今すぐ行ける病院を教えてもらった。

救急車を呼んでもいいと思ったんだけど、こんな場面で遠慮してしまったというか、そこまでの大事にする勇気がなかった。寝巻きのジャージの上にダウンを羽織って、財布と携帯だけポーチに入れて、最寄駅のタクシー乗り場までよろよろしながら歩いて行った。

 

タクシーで病院に向かいながら、深夜の街を眺めていて、ふと「私、死ぬのかな?」と思った。

 

今までに倒れたことは何度もあって、ものすごく気分が悪くても、「死ぬ」と思ったことはない。急性胃腸炎での嘔吐や激痛も何度も経験していて、その度に「死ぬほど痛い」「痛くて死にそう」とかは思うけど、「死ぬ」と思ったことはない。

 

でも、今回は、違った。

いつもの貧血のように、視界が暗くなることもなく、はっきりと見えるし、耳も聞こえる。意識が遠くなることもなく、しっかりと頭はまわっていて、考えられる。耐えられない激痛もない。

ただ、とにかく気持ち悪くて、身体が思うように動かなかった。私の身体なのに、私のものでないみたいだった。

 

たぶん、人生で初めて、本当に「死ぬ」ことを意識した。

身体の動きはコントロールできなくても、頭はクリアなので、「親に連絡しておかなきゃ」とか、「仕事どうしよう」「マネジャーに休むって連絡しなきゃ」とか、思った。このような症状が出る重病や、難病のことも知っていたので、「死ななくても、今後、長期入院になったり、身体が自由に動かなくなったりするかも。」とかも思った。

 

「今までの人生、良いことも悪いこともたくさんあったけど、死んでも心残りはないかな。」

「でも、死ぬんだったら、すぐ会社辞めて、実家に帰ろう。」

意外と、ものすごく冷静で、恐怖は感じなかった。

 

病院に到着すると、夜勤の当番で、私の母くらいの年齢の看護師がいて、「よく救急車乗らないで来たね。偉いね。」なんて言われながら、車椅子に乗せてもらって、処置室に運ばれた。点滴を打ってもらうと、だんだん落ち着いてきて、私は朝まで眠った。

病院が動き出して、すぐに、精密検査をしてもらった。 結局、原因はたいしたことじゃなくて、私は、その日のうちに、薬をもらって病院を出た。ちょうど金曜日だったので、土日まで3日間休んだらすっかり元気になった。

 

朝の病院のベッドから、ちゃんとマネジャーにメールを入れて、私は社会人になってから初めての有給をもらった。

たまたまその土日が大きなイベントで、私は両日とも出勤する予定だったけど、来なくていいと言われて、「倒れて、逆にラッキーだったかも!」くらいに思った。

 

「特別」になれない私

この、倒れて、「死ぬ」と思ったことで、いくつかの気づきがあった。

投げやりになっているのかもしれないけど、今のところは、私は死ぬことが怖くないし、いつ死んでも後悔はないみたいだ。

 

私が死んだらどうなるかも考えた。

 

きっと、母も、妹も、祖父母も、友人たちも、悲しんで泣いてくれる人はたくさんいると思う。でも、その悲しみはずっと続くものではない。

たまには私のことを思い出して、一生、忘れないでいてくれる人もいるとは思う。でも、どんなに悲しくても、きっと、他に楽しいことや、幸せなこともたくさんある。

 

私がいなくなっても、私の好きな人たちは、ずっと、それまでと変わらずに生活していくだろう。

「私は、他の誰かにとっての、特別な、絶対的な存在ではないんだ。」

 

私にとっても、そうだ。

私の大好きな人が、もし、いなくなったとしたら、ものすごく悲しいけど、たぶん、私にはそれまでと変わらない生活が続く。

 

そんなことを、ネガティブにではなく、ただ、淡々と考えていた。

 

 

つづく

 

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