正社員辞めてみた

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新卒2年で会社を辞めた話

旧)社会人2年目の激務と理不尽さ【新卒2年で会社を辞めた話 2】

2016/06/24

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新卒2年で会社を辞めた話 2。

そういえば、大学4年生のときの忘年会で、超エリートだけど激務なんだろうなって業界に勤めている1個上の先輩が、

「『辞めるか、死ぬか、どちらかだ』と言って、同期がまた一人、辞めていった・・・。」

って話をしていて、私はふざけてたから「ええっ!先輩の業界つらそうですけど、そんな名言まで生まれるんですね!!深いっ!!深すぎるっっ!!」って爆笑していた。

それから1年後、先輩は無事に同業界でまったり系の職種に転職していて、3年後、私はニートをしている・・・。

 

前回の話

f:id:hiyorico:20151225081947j:plain社会人1年目のこと【新卒2年で会社を辞めた話 1】
新卒2年で会社を辞めた話。ホワイトの大企業に入ったつもりだったのに。 心の中にあるものを、うわーっと書き出してみたら、まさかの4万字もの汚い下書きができま...

 

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<15.12.25 追記>どよんとした内容なので、中和のために、癒しのほっこり画像を投入しました! 

 

 

社会人2年目の激務

あっという間に4月になって、私も社会人2年目になった。

4月からは、私の部署で春のイベントが続く繁忙期だ。かなり忙しいということは、先輩方から散々聞いていたので、私も覚悟して臨んだ。土日出勤はもちろん、平日も毎晩残業した。

 

社会人1年目は、業務が本格的になってきて、残業をする時間も徐々に増えてはいたけど、営業先から直帰することもあった。でも、2年目に入ってからは、直帰なんてありえなくて、本当に毎晩残業だった。日中にイベントがあって、空いた日や時間外で、通常の営業活動と事務作業をする。

1年目のついこの前までは、一人暮らしの家で自炊をしたり、ゆっくりお風呂につかったりする余裕もあったのに、もうそれどころではなかった。

 

イベントや外回り営業を終えた後、毎晩、会社に残って事務作業をした。23時までは、余裕で会社にいて、パソコンを開いていた。

それでも、週に1~2日、仕事が追いつかないことがある。そんなときは、朝9時より早くから、夜23時より遅くまで働く。私は、だいたいは、朝5時台の電車に乗ってイベント会場の最寄駅まで行き、8時の集合時間まで、マックでコーヒーを飲みながら事務作業をした。そのまま定時までイベントがあって、そこから営業所に戻り、終電まで、また事務作業をする。

 

家で過ごす時間は、短いと5時間、長くても8時間になり、光熱費の請求書が基本料金に納まるようになった。

私は睡眠を最優先したいので、帰宅したらすぐに、シャワーを浴びて、寝た。すでに自由時間なんてなかったので、毎日削れるのは、朝の準備、シャワー、そして食事と睡眠の時間だった。

 

朝はギリギリまで寝て、営業職として最低限必要のメイクをして、スーツに着替えて、ベッドから起き上がった15分後には家を出る。

昼休憩や食事も取らず、外回り営業か、デスクで事務作業。日中、口にするのは、会社の自販機のコーヒーのみ。日付が変わる前に帰宅できたら、トーストを1枚食べる。日付が変わっていたら、なにも口にせずに寝る。気分が悪くなるくらいお腹が空いたら、駅で電車を待つ数分で、売店のクッキーやバウムクーヘンを買って食べる。

そんなことが普通になった。

体重も40kgを切って、ちょっと喜べないくらいに痩せた。1年目に買ったスーツはゆるゆるになった。

 

肉体的な痛み

イベントの日は一日中立ち仕事、普段は徒歩営業なので、毎日2万歩近くヒールで歩き回り、ふくらはぎはパンパンになった。足の親指と小指には、何回もマメができてつぶれた。ヒールがこすれる箇所は、すぐに皮膚が厚く血行が悪くなって、何箇所もヒビが入った。爪も割れたり、血マメができたりした。

そのうちに、脚のむくみや痛みには慣れたけど、皮膚が割れたところにストッキングを引っかけて、よく伝線させた。

 

担当製品のカタログは電話帳のように分厚くて重かった。製品自体も重かった。

毎日、大きなバッグを2つ持ち歩いていた。右肩のメインの営業バッグにカタログ、左肩のバッグにノートパソコンと製品サンプルを入れて、両肩にかけて歩いた。バッグの持ち手が食い込んで、両肩にアザができた。そのうちに、両肩とも皮膚がむけてきて、色素沈着してシミになった。

必要な荷物が多くて運びきれないときは、家から持ってきた自前のスーツケースに製品サンプルを詰めて、ガラガラと引っぱりながら外回りをした。社内でも取引先でも、「いつも荷物多いね!頑張ってるね!」と笑われた。

 

力仕事が多いということも、きっと、私の部署に女性が配属されない理由だと思う。

イベント前夜に、倉庫で、数十kg分の機械を梱包したり、運んだりしていて、日付が変わったこともあった。手を挟んだり切ったりすることもあったし、重い機械を持ち上げようとして腰を痛め、痛みで寝付けない日もあった。

 

体力的に辛かったけど、全部、繁忙期が終わるまでの我慢だと思って頑張れた。

 

繁忙期は続くよどこまでも

しかし、私の予想に反して、いつまで経っても繁忙期は終わらなかった。

「今週も忙しかったけど、来週からは余裕ができる。」そう思って、なんとかその週を乗り切るんだけど、次の週になったら、また新たに取引先のトラブル対応が入り、やはり余裕は無くなる。ずっとその繰り返しだった。

「来週からは!」と思いながら、5月になり、6月になった。

 

だんだん、体力だけでなく、精神的にも辛くなってきた。

休日は掃除と洗濯をするだけで、ひたすらベッドで寝ているようになった。それでも、日曜の夜には、なんとか気力を振り絞って、月曜の朝までに終えていなければならない仕事に嫌々取りかかった。

たまに、他部署の若手の先輩に「顔が死んでるけど、大丈夫?笑」と言われるようになった。

 

もちろん、なぜこんなに働いているのかも考えた。

私がまだ2年目で経験が浅いから、時間が掛かるのかな?それなら、もうしばらく続けて、慣れれば楽になるはず。

経験年数には関係なく、私の能力が低くて、要領が悪いのかな? それなら、このまま何年やっても変わらないから、まず、処理能力を上げなきゃ。

私ではなく会社側の要因で、仕事量自体が多いのかな?そうだとしたら、どうしようもないな・・・。

もうしばらく働いてみないと、答えは出ないと思った。けど、私と同じ製品を担当している若手の先輩方が、いつも同じ顔ぶれで残業しているのを見て、この状況があと数年続くことはわかった。

 

次第に、会社のことを恨むようになった。

 

残業した分お給料が増えればいいけど、完全にサビ残だった。休日出勤の代休も、取れる雰囲気ではない。有給は1回も取ったことがなかった。

就活のときに「みなし残業代支給」「フレックスタイム」とか書いてあったのは、何だったの? どんなに働いても、毎月、基本給の21万円から、色々なものが控除された金額しか振り込まれない。私は学生時代、バイトを一生懸命やっていた方だったから、バイト代と正社員のお給料や勤務時間を比べると、本当に悲しくて馬鹿馬鹿しくなった。

 

社会人2年目の大革命

社会人2年目から、労働時間が増えたこと以外に、もうひとつ辛いことがあった。4月の異動で、直属の上司であるチームマネジャーが変わった。

 

1年目の上司のことは、社内の色々な方に「○○さんがマネジャーで良かったね!」「こんなに優しいマネジャーは他にいないよ!」と言われていた。2年目の上司が他の営業所から異動してくることが決まって、今度は、色々な方から「△△さんは厳しいよ!見た目もこわいし!」「大変になるだろうけど、頑張ってね。」と言われるようになった。

噂では、若くしてマネジャーになって、その世代の出世頭、超優秀な営業マンだということは間違いなかった。ただ、正直、ほとんどは悪い噂だった。営業成績をあげて出世するために色々な裏技を使ったとか、その人のパワハラで辞めたり病気になったりした先輩社員のこととか。

実際、噂は全部事実だったけど、私も無駄に構えてしまったように思う。

 

新しいマネジャーは厳しかった。すぐに、私はマネジャーに怒られるようになった。

最初は、私がイベントに追われていて、通常の営業活動が進まなかったり、提出書類が締め切りギリギリになったりすることを注意されていたと思う。マネジャーの口調は、かなりきつかった。客観的にみても、私はいつも怒鳴られていた。

そのうちに、怒鳴られているんだか、大声で注意されているだけなんだか、よくわからなくなった。「すごい大声で注意されてるだけだ。」なんて自分に暗示をかけて、心の安定を保とうとしていた。

 

私にとって、男性の大声はストレスだった。

「私は、男性の大声が怖いんだ。」と初めて自覚した。マネジャーにずっと怒鳴られていて、私にとって、男性の大声は、父親に怒鳴られたり殴られたりした記憶と結びつくものなのだと気付いた。

私はマネジャーが怖かった。

 

両親の離婚と、繁忙期の体力的負担、それだけで、たぶん、私は結構危うい状況だったと思う。そこに、ちょうど、マネジャーのことが重なった。

精神的にどんどん辛くなった。

 

マネジャーは私の直属の上司だから、一日中、一緒に働くことも当然ある。

私は、営業職だし、初対面の人と会話をすることは全く苦痛ではない。会話の沈黙もリラックスして気にしないタイプだと思う。

でも、マネジャーとは、どうしても自然に会話をすることができなかった。なんとか口を開いてみても、緊張で続かない。結局、共通の話題が仕事のことしかないので、私の知識の無さや取引先のトラブルの話になり、また怒られてしまう。取引先への行き帰りの営業車は、いつも重苦しい空気で、息が詰まった。

 

社会人として、営業職として、いつもニコニコして、嫌な感情は表に出さないように意識していたけど、たぶん、私がマネジャーを苦手なことは、あっさり本人に伝わったと思う。

 

チームの他の先輩方(全員、年齢はアラフォー以上だけど)も、マネジャーに怒られていたけど、喫煙所で談笑している様子も見かけた。マネジャーは、元々口調がきついだけで、べつに、私だけをきつく怒鳴っていたわけではなかったと思う。

でも、その頃の私は、マネジャーの前で笑うことができなかった。マネジャーとうまくコミュニケーションを取れていなかった。

 

不機嫌なマネジャーに怒鳴られる

最初、マネジャーが私を怒鳴るのは、単に性格や教育方針的なものだったと思うけど、次第に感情的なものが加わってきたのを感じた。

私の仕事が遅い、トラブル対応がいつも後手になる、さらに、それを報告するのにビビっているという私の態度、すべてにイラついていたと思う。マネジャーが前にいた営業所と、今いる営業所との方針や、雰囲気の違いなんかの要因もあったと思う。会社から期待されている出世頭であるという、マネジャー本人の立場もある。チームの営業成績は悪くて、いつも全国最下位に近かった。

 

マネジャーは、異動してきてから時間が経つにつれて、どんどんイライラして厳しくなった。

今になって思うと、チームメンバーの半分以上はマネジャーより年上で、 私が圧倒的に最年少だ。私はイライラをぶつけるのにちょうどいい存在だったと思う。仕事もまだうまくできないし、ベテラン社員ならできるようなごまかしをする知恵もなかった。

 

私自身がミスをして怒られるのは仕方ないと思うけど、そうではない原因で怒られる場合も多かった。

緊急対応が必要で、処理するのに時間が掛かるトラブルは、社内の制作側がミスをした製品自体の不良や、取引先の操作方法の間違い、取引先の社内事情による売上の減少や遅延などがほとんどだ。

まだ営業経験が少なかった私にとって、発生するトラブルは、日々、初めてのものだった。同期の様子を見ていると、トラブルが起きると上司が窓口になって助けてくれて、ささっと対応してもらっていた。でも、私のマネジャーは、私を営業として鍛えるための教育方針なのか、そうでないのかはわからないけど、どうしても上司が出向かなければならないような限界まで、私を助けてくれなかった。

 

私は、まだ自分の判断だけで対応できる知識も能力も裁量も無いし、毎晩、取引先での出来事をマネジャーに報告した。

6月頃になると、トラブルじゃなくても、もう何か報告をするだけで怒鳴られていた。

「今日、A社の担当者から〜〜と要望があって・・・」と、言い終わらないうちから、『それは〜〜すればいいだろうが』『なんで〜〜しねぇんだよ』と、怒鳴られる。そうなるともう、私が何か言うだけで、口答えとみなされてしまう。口を挟むと余計怒られる。

私は、ひたすら、「・・・はい。・・・はい。」「申し訳ありませんでした。」と頭を下げた。

 

ときには、そうやってマネジャーに指示されたことを、指示された通りにやったのに、それに対して怒られることもあった。指示したくせに、本当に理不尽だと思うけど、何も言えない。

他の先輩方がその様子を見ていて、後から「あれって、この前マネジャーが自分で言ってたやつだろ? 自分が言ったのに、ひどいよなぁ。」とフォローしてくれることもあった。ありがたかったけど、自分が怒鳴られている最中は、ひたすら自分一人で耐えるしかない。

 

最初のうちは、私のことを心配して、「こうすればいいよ。」と助けてくれる先輩方もいたけど、結局、私は何をやっても怒られた。自分がアドバイスしたことによって私が怒鳴られているのを見て、「俺が余計なこと言っちゃったせいで、ごめんな。」と、そのうちに、誰も助けてくれなくなった。

私も、怒鳴られることで、せっかく助けてくれた先輩方の意見まで全否定されてしまって、本当に申し訳ない気持ちしかなかった。

 

営業は人間じゃないらしい

私がうまくやれないせいで、私を助けてくれた先輩方が、全否定される。

それでも、先輩方は、私に、「取引先は最優先だけど。社内の人に対しては、全然、気遣わなくていいんだよ。」と言ってくれた。

 

その週に、社内メールのやりとりで、『私は、取引先対応のため、その日時は都合が悪いです。』という旨を送ったら、相手のおばさんに、機嫌の悪い返信をいただいた。 

おばさんは私の部署でそこそこ偉い人で、それをccで読んだマネジャーからも「だからさぁ、お前の都合はどうでもいいんだよ!!!営業に都合なんてねえんだから!!!」と、やっぱり怒鳴られた。

色々なことを言われたけど、つまり、「営業は人間じゃない」っていうことだった。

 

「取引先でも、社内でも、営業は人間じゃないんだ。」

「私は、お客様にとっては、商品を『買って、使ってやっている』相手だし、社内では、優秀な制作や企画の方々が作り出してくださった素晴らしい商品を売る、コマだ。商品が売れないのはすべて、営業が無能なせい。」

「私は人間じゃないし、私の意見なんてないですよね。はいはい、わかりました。」

すごく卑屈だけど、実際、そうなんだから、仕方ない。

ちなみに、私にキレたおばさんは、その日たまたま機嫌が悪かったらしい。その後は、普通に『新規獲得おめでとう!頑張ってますね^^』とかメールをくれた。気分屋でヒステリックな女は、私の母みたいで、苦手だ。

 

私がマネジャーのデスクの前に立って怒鳴られている時間は、毎朝、毎晩、長いと1時間くらいになった。営業所にいる人が少なくて静かな時は、マネジャーの大声の内容はフロア中に聞こえるし、私が頭を下げている姿もフロア中から見える。私がよく怒鳴られていることは、50人ほどが働く営業所内で、皆が知っていた。

 

 

つづく

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