正社員辞めてみた

※ 6/23〜ブログ設定変更中につきエラーページが表示されます。お見苦しい点がありご迷惑をお掛けします…

新卒2年で会社を辞めた話

社会人1年目の悩みは誰にも相談できなかった【新卒2年で会社を辞めた話 1】

2016/07/06

Pocket

新卒2年で会社を辞めた話 1。

ホワイトの大企業に入ったつもりだったのに。

 

f:id:hiyorico:20160221223435j:plain

 

心の中にあるものを、うわーっと書き出してみたら、まさかの4万字もの汚い下書きができました。その中から、ただの悪口を抹消してきれいにして、8分割くらいでお送りしたいと思います。

自分語りのはじまり。

 

前回の話

8893c661b55a2a2ad0e64156eeb4b2c1_s25歳の年末、会社員時代のことを振り返ってみた【新卒2年で会社を辞めた話 0】
 私は、2015年の4月末、新卒で入社して2年間勤めた会社を辞めた。退職して半年以上が過ぎて、ようやく当時のことを振り返ってみる気分になった。年末で、この一年...

 

ただひたすら辛いだけの毎日

『死にたい』

会社からの帰宅途中、電車でスマホをいじっていて、なんとなくだけどそんな言葉ばかり検索してしまう。社会人2年目、2014年の夏。

LINEでの友人たちとのやりとりも流し読みで返信する気なんて起きないし、Facebookも開く気にならない。

 

朝、起きて、会社に行く。夜、帰宅してすぐにシャワーを浴びて、眠る。

翌朝、疲れの溜まった身体をなんとか起こし、「またクマがひどくなったなぁ。」なんて鏡を見ながらさっとメイクをして、スーツに着替える。そしてまた会社に行く。

そんな毎日の繰り返し。

 

私は、ある会社で営業職として働いていた。

 

氷河期の就活と、大企業への内定

ブラック企業にだけは入りたくなかった

私が入社した会社は、その業界内では一流と言われる大企業だった。

就活をしたのは2013年、震災後の超氷河期。

 

私は都内の私立大学に通っていた。高学歴でもなく、英語もできず、強みや特技もない。ただ、なんとなく大学に行って、なんとなく講義に出席して、なんとなく友達と遊んで、毎日めっちゃ楽しいわけでもないけど、べつに不満もないかな、という感じの、たぶんよくいるタイプの学生だった。あまり裕福な育ちではないので、アルバイトだけは頑張っていた。

自分が就活を迎えるまでに、大学の先輩たちが就活で苦労して、卒業延長したり、音信不通になったりするのを見ていた。無事に内定を取って、明るい顔で卒業していった先輩でも、次にサークルやゼミのOB会で会うときには、げっそりやつれて登場したり、仕事の不満を愚痴りあっていたりした。

 

私は、就活で人生が決まると思っていた。

 

自分の就活市場での価値の無さや、氷河期の厳しさを、友人たちに比べると、現実的に深刻に捉えていたと思う。大学3年生になってから、それなりに準備をして就活に臨んだ。就活なんて茶番だ。そう思いながらも、自己分析の本を読んで、ESを何度も書き直し、たくさんの企業にエントリーして説明会に行った。

 

希望通りのホワイト大企業で内定獲得

大学4年生になって、大手の面接が解禁されてすぐに、内定をもらった。

 

運が良かっただけなんだけど、友人たちよりもかなり早い時期の内定だった。景気に左右されにくい業界で、主力製品のシェアは高い。ネットで評判を見ても、社会的イメージは良く、ホワイト企業っぽい。選考で話した人事や役員の雰囲気も、とても良かった。

 

これから私が働く40年間で、この会社が潰れることはないと思った。

もちろん、今の時代に「安定」が期待できないことはわかっているけど、業界や事業内容的に、今あるものが消滅して、まったく他のものに置き換わる事態が近いうちに起きる可能性は低そうだった。生活インフラとして重要な製品を扱っているので、最悪、潰れそうになっても、行政が入って民事再生されるだろうと思った。

 

私に選べる、民間就職での選択肢の中では、とても良い会社だと思った。

 

私の親も、会社の名前を伝えると、喜んでくれた。友人たちも、「お前が一番いい会社に受かったな。いいよなー。」なんて言ってくれた。

 

明るい将来を想像して大学を卒業した

私は、ずっと、残念な学生だった。部活ではいつも補欠だったし、大学受験でも、一浪したのに、また第一志望に落ちた。たぶん今までに、努力を結果として残した経験がなかった。

でも、やっと、就活で結果を出せた。これで、私の人生はひと安心、頑張って本当に良かった!

 

私は、負けず嫌いだし、女性が男性に養ってもらうという考えは古くて時代遅れだと思っている。女性だからって男性に劣るという評価はされたくないし、結婚・出産しても当然仕事を続けるつもりで、総合職の営業として入社した。

 

大学の先輩が就活で苦労するのを見てきたように、私の友人たちも、苦労していた。本当に日本トップレベルの大学の友人でも、内定を取れずに院に進んだり、非正規で就職したりした人がたくさんいる。

人と比べるべきことでもないけど、大学も普通で能力も低い私にしては、とてもよく頑張ったなぁと思った。将来を想像しても、ドラマに出てくる、バリバリ働くキャリアウーマンや、30代で仕事と子育てを両立、みたいなイメージばかり思い受かべていた。

長時間労働やパワハラなんて、私には縁が無いものだと思っていた。

 

順調な新社会人生活スタート

人にも恵まれ充実した1年目

2013年の4月、私は社会人になった。

入社してから半年間は、ずっと研修。同期とはすぐに仲良くなって、研修で接する先輩社員も素敵な方ばかりで、毎日楽しく、充実感があった。日曜の夜に憂鬱になることも、さっぱりなかった。

 

私が配属された部署は、全国に営業マンが300人。30年以上続いている、私の会社では歴史のある部署で、所属は40代がメインだった。

ほとんどの同期が、近年新規立ち上げされた部署への配属だったのに、私はなぜか、その歴史ある部署に配属されてしまった。そして、配属発表の時点ではそんなこと知らなかったけど、その営業マン300人の中で、たった一人の女性だった。

男性ばかり300人というのは、女性が異動したり、辞めたりしているということで、たぶん、それなりの理由があった。半年間の研修中に、先輩方に「あなた○○部なんだって?大変だね。」「厳しいと思うけど、頑張ってね。」とよく言われた。「頑張ります!ありがとうございます!」と、新入社員に対する、よくある激励だと思って、軽く流していた。

 

早く一人前になりたい普通の新入社員

10月、東京の営業所に配属された。

しばらくはOJTで、先輩方の営業に同行させていただき、その後、自身の担当取引先と営業計画を与えられた。チームマネジャーはとても優しい方で、仕事について何もわからない私の面倒を見てくれた。

 

私が配属された営業チームのメンバーは、10名いたけど、全員アラフォー以上の男性だった。同期にたまに会うと、「OJTの先輩が〜」なんて、3〜5年目20代半ばの若手先輩社員の話をしてくれるんだけど、私のOJTでチーム内で一番年齢の近い先輩は、38歳だった。周りからは「歳が近い人いなくて、大変だね」と言われたけど、私にとっては、歳の離れた男性ばかりのチームで働くことは全く苦痛ではなかった。

逆に、チームの先輩方にとっては、40、50代の中にいきなり新人、しかも女性が入ってきて、やりづらかったと思う。かなり気を遣ってもらった。そういうことがわかっていたので、早く一人前にならなければと思った。

 

営業では、つまずきながらも、たくさんの先輩方にサポートしていただいた。成長しているというほどではないけど、社会人として、できる仕事が少しずつ増えていくのが感じられた。

新社会人としては順調な毎日だったと思う。

 

仕事とは関係無いけど、私の憂鬱なこと

私の家族

そんな順調な生活が変化し始めたのは、社会人1年目の冬。

仕事とは関係無いけど、私が育った家庭は、あまりいい環境ではない。

 

高校時代、友人たちが楽しそうに家族の話をするのを聞いていて、「私の家は、普通とちょっと違うのかも」と自覚し始めた。友人たちの話から感じられる『家族愛』のようなものが、私の家には無かった。家族全員で楽しく会話をした記憶が、本当に一度も無いし、家族全員で外食したのも、小学校6年生のときが最後だ。

家族が幸せだった頃もあったのかもしれないけど、悪いことが続くと、良かったことの記憶も薄れてしまうものなのかもしれない。家族の悲しい話は、他にも挙げればキリがないんだけど、最終的に、私の両親は離婚した。

 

両親との関係性に振り回される

私が大学3年生の頃から弁護士がついていて、社会人1年目の冬、まさに離婚調停が大詰めになっていた。

離婚については、母から、弁護士を頼んだ、調停が成立した、というタイミングでその事実を聞いただけだ。途中でどんな話し合いがなされて、どんな結果になったのかは一切知らない。興味が無かった。両親のいざこざには関わりたくなかったし、色々と面倒だから、さっさと別れてしまえばいいと思っていた。

私にとって、両親は、育てて大学まで行かせてくれたことへの感謝の気持ちはあるけど、あとは、それ以上でもそれ以下でもなかった。

 

でも、そう思っていても、実際に経験してみると、子供にとって両親の離婚は辛いことみたいだ。

 

普段、両親とは数ヶ月に一度しか連絡を取らない。メールや着信はたまにあるんだけど、私はそれに応える気にならず、無視していた。そろそろ離婚が成立するのだということが、メールや留守電に入っているのを確認すると、憂鬱だった。

東京で社会人として、自分なりに一生懸命暮らしている中で、スマホの通知に両親の名前が出てくると、それだけで、普段忘れている過去の嫌なことが思い出される。当時は自覚してなかったけど、振り返ってみると、かなりストレスになっていた。

 

人生最悪の日は、25歳の誕生日

私が産まれた日に、私の両親は別れた

社会人1年目が終わる頃、3月に両親の離婚が成立した。

夜、会社を出てスマホを見ると、母から、離婚が成立したことや、娘たち(私と妹)への想いが、長文のメールで届いていた。なんだか自己満足のメールだなぁと読み流して、そのまま帰宅中の電車内で削除した。

私の誕生日前夜の出来事だった。

翌朝に、また、母から「誕生日おめでとう」とメールが来た。

 

父からは、離婚の報告も誕生日祝いも、何も連絡はなかった。

 

離婚調停の成立日って、裁判所の都合で決まるから選べないものなんだろうとは思う。でも、1年が365日もあるのに、私の誕生日に合わせてくるなんて、この人たちはどういう神経をしてるんだろう。ちょっと馬鹿なのかな?と思う。

これからの人生で、私が生まれたことと、両親が別れたことが、常に一緒になってやってくる。

 

悲しい気持ちには蓋をして

その誕生日は、朝から、38歳OJTの先輩と取引先に行って、「もっと営業としての自覚を持たなきゃ!自分が担当してるお客さんだってことわかってんのか?」と怒られた。べつに失敗や悪いことはしてないんだけど、私の熱意的なものが足りなかったんだと思う。

先輩が、私を一人前の営業として鍛えるために、厳しいことを言っているのはわかっていたけど、「人生最悪の誕生日だなぁ。」と思いながら、聞き流した。

 

この頃から、無意識にだったけど、自分の悲しい気持ちを無視するようになった。

今、周りから指摘されることをひとつひとつ真剣に受け入れていたら、心が折れると、たぶん心のどこかで思っていた。言われたことに対しては、事実だけは理解するようにして、感情的なものをはさまず、落ち込まないようにした。だから、怒られても悲しい顔をせずに、けろっとしているように見られていたと思う。

 

夜の帰り道や寝る前に、気持ちが沈むことはあったけど、寝て忘れた。

 

辛そうにしないと可愛がられない

必死さが欠けた『ゆとり世代』のレッテル

私は、今までにも色々な辛いことがあって、それを乗り越えてきて、自分のことを精神的にかなりタフだと思っていた。

今、この頃を振り返ってみると、客観的に見てもきつい状況なんじゃないかと思うけど、当時はそんな自覚も無かった。両親の離婚のことは、友人にも誰にも話さずに、それまでと変わらず働いていた。

 

実際、たぶん私は、周りの人から、何の悩みも無くのほほんと働いているように思われていた。

上の人は、若い人に辛い思いをさせたいものらしい。

「楽しそうにパソコンしてるね。」「僕が昔、女の子の部下を持ったときは、もっと夜遅くまで働いてたよ。泣きながらでも、くらいついてやってたよ。(その子はもう会社辞めちゃったけど)」なんてことを、何回も言われた。もっと外回り営業してこい、もっと夜遅くまで必死に働け、ってことだ。

 

『ゆとり世代』の話をされることも多かった。営業マンとして見習いたくないような、もう会社内では期待されていないおじさんに限って、暇だからか、頻繁にこういう説教をしてくる。かなり面倒だ。

 

おじさんたちは楽しそうな若手が気に食わない

私には必死さが足りないらしい。手を抜いているわけではないし、頑張っているつもりなんだけど、そう見えないらしい。学生時代も、勉強やスポーツについて、全力でやっていない、まだ余裕がある、と周りの人に指摘されてしまうことがあった。

私は、物事をうまくみせるのが下手だ。お世辞や自己PRも苦手だ。

 

「おじさんたちは、私が仕事を辛そうにやれば納得するのかな? でも、そんなの遅くまで会社に残るか、辛そうな顔をしとくしかないじゃん! やろうと思えばできるけど、意味ないじゃん!」と思っていた。この頃は、まだ、それが現実になるとは、さっぱり思っていなかった。

忙しいなりに、ちゃんと休日には休めていたし、結局、この後に直面した大変な時期に比べると、たしかに「全力」ではなかった。社畜として限界までは追い詰められていなかったという意味で。

 

あと、この頃に、先輩にとても理不尽な理由で怒られて、社会人になって初めて、泣いた。誰にもバレないように、会社の女子トイレで泣いた。10分くらいで、すぐ泣き止んでデスクに戻ったけどね。健気。

 

 

続きはこちら↓

86b70440d9ad42e4e49647d3d51cfaf8_s社会人2年目でサビ残月130時間の激務と理不尽を知った【新卒2年で会社を辞めた話 2】
新卒2年で会社を辞めた話 2。 前回の話  毎月サビ残130時間生活スタート社会人2年目の激務あっという間に4月になって、社会人2年目になった。4月からは...

 

 

-新卒2年で会社を辞めた話