正社員辞めてみた

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新卒2年で会社を辞めた話

「不幸な私」でいることを辞めたら、辛い社畜から抜け出せた【新卒2年で会社を辞めた話 4】

2016/07/06

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新卒2年で会社を辞めた話 4。

 

前回の話

5751f66116a9a756e6394f9d0f998e68_sブラック企業で限界を迎え、生きるのがただ辛くなった【新卒2年で会社を辞めた話 3】
新卒2年で会社を辞めた話 3。 前回の話  取引先大炎上でトラブル対応に追われる社会人生活最悪のトラブル6月下旬、イベントシーズンもひと段落つくはず...

 

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なぜ私だけが辛いんだろう

私が追い詰められている間、同期はサボっていた

お盆休みが終わって、結局、休み中も仕事をしていて、リフレッシュできなかった私は、相変わらず、憂鬱に会社に行った。

今までは「お盆休みまで」と頑張ってこれたけど、次の休みは年末年始、4ヶ月以上先だ。もう、そんなに働く気力はなかった。

 

私から全く音沙汰がないのを心配してLINEをしてきた母には、『忙しい。お盆も仕事した。ちゃんと寝てない。ごはん食べてない。』というようなことだけ返信した。

以前からずっと言われていたけど、やはり、辞めて実家に戻ってくるように言われた。

 

休み明けに研修があって、久しぶりに、全国から営業の同期十数名が集まった。

 

同期のことは大好きだ。

でも、楽しみにしていた研修後の飲み会で、私が聞いたのは、信じられない話だった。

 

「朝9時に起きて、マネジャーに『取引先に直行します。』ってメールしてから、お昼まで二度寝してる。」
「取引先の近くの駐車場に営業車駐めて、2時間くらい、昼寝したり、ぼーっとしたりして、また、次の取引先の駐車場に移って、ぼーっとする。」

 

そんなことを、みんな「わかる〜!」と、笑いながら話していた。

入社時の研修で、高学歴で英語もペラペラで、ものすごく真面目だったり、熱い想いを語っていたりした同期たちを、私は尊敬していた。でも、そんな同期たちでさえ、定時内に、家やネカフェでサボっているという話をしていた。

彼らに対する、優秀で真面目というイメージが、一瞬で崩れた。

 

私だけ我慢して頑張っていて、馬鹿みたいだ

私は、入社してからそれまでに、本当に、サボったことは一切なかった。忙しすぎて精一杯で、サボるという発想自体なかった。というか、サボったところで私の仕事は減らないから、翌日以降の仕事が増えて、もっと辛い思いをするだけだ。

 

私と同じ営業所に同期はいなかったけど、他の営業所にいる同期たちが「頑張っている」という噂を聞くことはあった。たまに、用事があって他の営業所に行くと、同期たちは、いかにも若手らしく必死そうに働いていて、それを見て、「私も頑張らなきゃ!」と思っていた。

でも、結局、彼らは上司の目が届く場所では必死そうにしていただけで、いざ外回りに出たら、たいして働いていなかったんだ。

 

本当に、信じられなくて、悔しかった。

 

なんで私だけこんなに働いているんだろう。

 

業績の悪い部署に配属された「不幸な私」

私の「普通」は、全体から見たら「最悪」だった

同期があまりにもサボっていたので、気になって、社内の営業資料に、初めてしっかりと目を通してみた。

社内で一番業績の良い部署は、営業マン200人中200位のビリでも、売り上げは前年比30%伸長になっていた。私の部署は、営業マン300人中、前年比プラスなのは上位30人だけ。あとの270人はマイナス伸長。

 

今まで、自分の部署の資料にしか目を通していなかったので、どんなに頑張っても、計画をなかなか達成できないことが、普通だと思っていた。

たしかに、今までも周りの様子を見ていて、私の部署が特に大変だというのは感じていたけど。他の部署の商品は、放っておいても勝手に売れるらしい。

 

同期の話を聞いて、私は、同期の誰よりも、一生懸命働いていると思った。私が一生懸命で熱心というよりは、そのくらい頑張って働かないと、抱えている仕事がこなせないから、やむを得ずだったけど。

 

苦労しても結果の出ない私、サボっても評価される同期

毎日、まともに食事もできずに5時間以上も残業して、ずっと必死に働いている私と、仕事をすべき時間にさえ、家や営業車で昼寝している同期。

どんなに頑張っても、さらに業績悪化することが目に見えている私の部署と、放っておいても商品が売れる他の部署。

 

同期は、もちろん残業をする日もあるけど、定時退社や、定時に家に着いている日さえあって、家で料理を作ったり、花金に飲みに行ったりしている。会社の福利厚生で、毎週、英会話やビジネススクールに通って、スキルアップをしている。

 

「私がどんなに精一杯働いても、なんのスキルもノウハウもつかないのに、その間に、余裕のある同期たちは、どんどん先に行ってしまう。」
「毎日、精一杯、仕事しかしていない私より、仕事をサボっていても英会話やビジネススクールに通っている同期の方が、人事からの評価も高い。」

取り残される焦りもあったし、自分だけが、こんな状況にいるのが悔しかった。

 

きっと、この前の夏のボーナスでも、人事部の査定に関する報告書を見ると、私は同期よりも少ない金額だったんだろうと思った。

 

まだ2年目なのに、もう、差がついてしまった。

 

時代の流れに合わない事業

新入社員でさえ痛感する状況の悪さ

私が同期の中でたった一人、配属された部署は、社内で一番、業績が悪かった。

それは、元々歴史のある部署で、規模もシェアも大きいから、追ってくる競合が多いというのもある。でも、私は、業績悪化の一番の原因は、時代の流れやライフスタイルの変化によるものだと考えていた。

 

日本の、白物家電のシェアが海外メーカーに取られたり、軽自動車を選ぶ人が増えて普通車の売り上げが減ったり、そういったことと同じ状況だと思った。

お客様は、そこまでのブランドや品質やスペックを求めていない。普通の用途で使えさえすれば良い。値段が安い方が良い。

 

そんな流れが、私の働く業界でも起き始めていると思った。その流れは、これからもっと加速して、何年も続く。営業の一個人や、会社の力では変化を止められない。

私が、これからも営業として、どんなに頑張っても、取引はどんどん減っていくだろう。それは、私だけでなくベテランの先輩方にとっても同じだ。

 

個人の努力では流れを変えられない

会社の上の人たちは、営業力や信頼関係の問題だ、と現場の営業を責める。

でも、取引先の経営方針が変わったり、他社に同スペックであきらかに安い商品があったりすれば、営業がいくら努力したって、簡単に他社に切り替えられてしまう。

いくら信頼関係があったとしても、「いつも頑張ってくれているあなたには、本当に申し訳ないけど・・・」と、事前に断りを入れてもらえるだけだ。取引先にとっても、トップが決めた方針やコスト削減は最優先だから、当然だ。

 

時代の流れで、仕方のないことだと思う。

 

きっと、これから営業として経験を積んでも、今以上に努力しても、この時代の流れには逆らえない。ベテランの先輩方でさえ、あんなに苦労しているのに、能力もない新人の私に、何ができるというのか。状況が改善するなんて、偉い人たちの会議の中だけの夢物語だ。現実を見たら、明るい未来なんて、決して想像できない。

私のような、無知な新人にさえ、今後も状況が悪くなっていく予測ができるくらいの、状況の悪さ。

 

ホワイト企業のブラック部署

会社自体はホワイト企業

私の配属された部署が、偶然、厳しい局面にあるというだけで、私の入った会社は、たぶんホワイト企業だ。

 

事務部には、営業成績が悪かったり、営業をできなくなったりして、異動した人がたくさんいる。営業で売れなかったり、病気になったりした人でも、絶対にクビにはならない。

制作側は、監査が入ったりするからなのか、残業代をきっちり必ずもらえる。私の同期は、1時間に1回のタバコ休憩や、忘年会会場の居酒屋をネット検索している時間分も、残業代をきっちりもらっていた。

本社には、結婚出産して、時短勤務で働いている、おしゃれなお姉さまたちがたくさんいる。おしゃべりしながら仕事をして、お昼は外にランチを食べに行って、デスクでは旅行のお土産を配っている。メイクもスーツもよれよれになりながら働いている私と比較すると、同じ会社だとは思えない。

デスクでいびきをかいているおじさんたちも、たくさんいる。なかには、すごく偉い役職を持っているおじさんもいる。仕事を頼みに行くと、「それはお前の仕事だろうが!」と突き返されるし、そのくせに、暇なもんだから、おじさんたちが機嫌の良いときには、休日の趣味や大学生の息子の話に付き合わされて、私の時間を奪われる。

 

全体のシワ寄せで社畜をしている人たち

一方で、私の部署も含めて、大変な部署がいくつかあって、いつも同じメンバーで残業して、休日出勤していた。

そういう部署だと、企画や経営側として本社に引き抜かれた優秀な先輩方が、時短のお姉さま方が16時とかに帰って行った後に、日付が変わるまで働いていた。

 

仕事は、慣れれば楽になると思っていたけど、どんなに頑張っても、いつまでも楽にはならない。頑張った分だけ、さらに負荷が増やされていく。

 

若手の先輩方も、ずっと、辛そうに働いていた。

もっと上の、30代の先輩方は、「俺は、こんな『ブラック企業』の、『社畜』だからな!」と、自嘲していた。

さらに上の、40代以上の先輩方は、たぶん、もう頑張ることをやめているように見えた。色々なことをごまかしつつ最低限働いて、家族のために、お給料をもらう。

 

私は、元々、『社畜』という言葉が大嫌いだ。絶対に使いたくない言葉だった。

「社畜になるのも、ブラック企業で働くのも、全部、自分の行動の結果で、自分で選んだこと。嫌なら辞めればいいのに。」就活生のときにはそんなことを思っていた。

なのに、いざ、会社で長時間働くようになると、「今、私は、間違いなく、ブラック企業の社畜だ。」と思った。社畜以外に、自分をぴったり表現する言葉が浮かばなかった。

 

本当の限界がきて「辞めること」を決意

生きる意味はわからないのに、生きるためだけに働くこと

元々、「辞めたい」ことが頭から離れなかったのに、同期のサボり話を聞いたのがきっかけになって、ますます、一人で色々なことを考えるようになった。

 

「私はなんのために生きているんだろう。」

 

毎日、本当に仕事にしか時間を使っていなかった。娯楽や自分の時間なんて、一切無かった。

なのに、私が仕事をしているのは、ただ「生活のため」で、それ以外の理由はない。自分が生きている意味がわからなかった。

 

社会人2年目になってから、ずっと大変で、夏にかけてどんどん辛くなっていたけど、お盆明けからは、もう本当に何も考えられなくなっていた。体力的にも精神的にも限界を感じていて、でも、なんとか日々の業務をこなしていた。

一人になると、「辛い」「辞めたい」「もうダメだ」、そんな言葉が浮かんでくるばかりだった。頭の中から仕事が消えることは無かった。

 

仕事の大失敗で迷惑を掛けて、死にたくなる

そんな状況で働いていて、ついに、私は、仕事で大きなミスをしてしまった。

取引先で頼まれたことを、他にも仕事が溜まっているのにかまけて、後回しにした。やっと取り掛かった頃に、電話が来て「どうなってるんだ!?なめてんのか!?」としばらく怒鳴られて、一方的に電話を切られた。あとは、「お前に話すことはない。」と、もう私とは話をしてくれなかった。私は、その取引先を出禁になった。

新規取引契約できたかもしれない案件は、翌年以降に延期になった。マネジャーやチームの先輩に、また、ものすごい迷惑を掛けてしまった。

 

それまでのトラブルは、自分のミス以外の、他のことが原因になっている場合がほとんどだったけど、今回は、100%私の責任で、私が引き起こしてしまった大失敗で、言い逃れできなかった。

 

「もう、本当に、私って最悪だ。」

 

「死にたい。生きている意味がわからない。」

 

 

生活のために、もうすこしの我慢

休日、一番仲良しの同期とごはんに行って、初めて「会社を辞めようと思う。」と、自分の考えを他の人に話した。

その同期も、私が毎晩遅くまで働いていることや、私の部署の大変さを知っていたので、「たしかに、辞めてもいいと思う。」と言ってくれた。

「でも、せっかくここまで働いたんだから、12月まで頑張って、ボーナスを貰ってから辞める方が絶対に良いよ!」

 

私はもう、明日会社に行くのも辛い。

ボーナスが出る12月は、まだ、3ヶ月以上も先だ。そんなに耐えられない。

 

でも、たしかに今退職したら、東京で一人暮らししている私は、生活できなくなる。実家に戻るのは、絶対に、嫌だ。

「もう本当に無理だし、本当に働きたくない!」そう思うけど、生活のために、なんとか我慢するしかない。本当に辛いけど、生活のためには、もうすこしだけ、我慢するしかない。

自分にそう言い聞かせた。

 

限界を超えて、社畜に振り切れた

辞めるゴールまで、「考える」ことをやめた

私は、12月まで働いて、ボーナスをもらってから退職することに決めた。

プライベートの手帳に、とりあえず、12月25日『退職日』として、赤文字で大きく印をつけた。そして、11月下旬に『マネジャーに退職の旨を伝える』と書き込んだ。

スマホのアプリで『退職日まであと○○日』とカウントダウンを設定した。

 

ゴールを決めて、辛い状況の終わりがみえたことで、徐々に、私は精神を立て直していったように思う。私は、意図的に「考える」ことをやめた。

 

「仕事に意味なんて無い。やりがいもいらない。業界の厳しい状況なんて、どうでもいい。同期や色々な人が、サボっているのも、私には関係ない。」

「ただ、『仕事』だから、やる。やるべきことを、つべこべ言わずに、ただ、丁寧に全力でやろう。」

 

無心になって、もっともっと働く

たまに、ものすごく気分が落ち込む日もあったけど、ひたすら、全力で働いた。

働きすぎて、「辞めたい」ことを考える時間もなくなった。

 

私は、「辞めたい」ことを忘れた。

 

体力もついてきたのかもしれない。重い荷物による慢性的な肩こりや、ヒールの中で足がボロボロになって痛いのにも慣れた。毎晩日付が変わる頃まで仕事をするのにも慣れた。

 

ずっと、もう精一杯だと思っていたけど、そんなことなかった。

 

私は、もっと働けた。もっと働いた。

 

日付が変わって帰宅してからも、部屋でパソコンを開いた。

毎週金曜日には、23時に会社を出て、近所のファミレスに行って、やっと、その週最初のちゃんとした食事をとった。それから、閉店の深夜2時まで、ドリンクバーのコーヒーを飲みながら、その週の終わらなかった分と、翌週に向けた分の事務作業をした。

 

私の部署では、平均して月2回の休日出勤があり、代休も取れる雰囲気ではない。でも、休日手当が出る分、平日のサビ残よりずっと良いと思って、頼まれた時には積極的に出勤した。

もう、休むことはどうでもよかった。

 

振り切って社畜に徹する

結局、このペースは、私が退職するまで続いて、病院で点滴を打つレベルの体調不良以外は、一度も有給を取らなかった。

花金とかなにそれ? って感じで、一度も定時に帰宅することはなかった。年に5回くらい、会社の行事としての送別会や忘年会の日だけ、時間に間に合うように会社を出た。それだけだ。

 

先輩と「最近きついから、今日は早く帰ろうよ。」って、22時台に「やったー!今日は早く終わったー!」って言いながら帰宅した。21時台に終わったときには「奇跡だ。まだ『今日』がこんなに残ってるなんて!帰ったら何しよう・・・!」って言いながら帰宅した。それも、社会人2年目の1年間で、10回くらいかな。

 

それ以外の日は、毎日、日付が変わる頃まで働いていた。毎月サービス残業を120時間以上。それを、1年間。

 

社畜自慢というより、そんなに、振り切って全力でやれたのが、私にとっての奇跡だ。ずっと、もうダメだ限界だ、と思っていたのに。

 

もがき続けたら抜け出せた

無理して休んで遊ぶ

プロ社畜としての意識が高まる一方で、休日には仕事をしないようにした。家ではパソコンを開かないようにして、携帯電話も家に置いて出かけた。

 

プライベートも、友人との連絡を絶っていたけど、たまには多少無理をしてでも遊ぶようにした。

 

土曜出勤のイベント会場から、そのまま新幹線に乗って、友人たちが泊まっている旅館に20時過ぎに合流したこともあった。ごはんを食べて、温泉に入って、楽しい夜の女子会のはずが即寝落ちしていて、気づいたら朝だった。

仕事用のヒールとスーツのスカートで観光地を歩いた。それでもよかった。

 

富士登山をしたときには、金曜の残業でいつもどおりに日付が変わってしまい、5時間睡眠での登山だった。睡眠不足のせいか、山小屋で高山病になり、一睡もできずに吐き続けた。本来なら下山するべきだけど、自分の中で即下山する条件を決めて、そのまま登った。酸素ボンベを吸って、たまに友人が荷物を持ってくれて、助けられながら登頂した。ご来光を見て、なんだか、パワーを貰った気がした。

翌日、月曜日には普通に会社に行った。私は、富士登山は初めてではなかったけど、今回、まったく筋肉痛にならなくて、それは初めてのことだった。

「やっぱり、普段から営業で重い荷物持って、足腰鍛えてるからね。さすが。」なんて、自分の成長?を感じたりした。

 

もう大丈夫、乗り越えた

仕事内容でも、経験を積んだおかげか、それまでは調べて出直さないと答えられなかった問い合わせに、その場で対応できることが増えた。

7月に大炎上した取引先も、色々なラッキーが起きたり、私の熱意を汲んでくれたりして、なんとか無事に収束した。私のミスで出禁になった取引先にも、許してもらえて、また、私の携帯に直接、問い合わせをもらえるようになった。

 

 

「私は、まだ、限界じゃなかったんだ。」

 

 

10月頃には、「もう大丈夫だ。」と思った。 

たぶん、ゴールを決めたことで、やっと覚悟が決まったんだと思う。

 

 

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