正社員辞めてみた

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新卒2年で会社を辞めた話

生きる意味を真剣に考えて、私は自由で幸せだと気づけた【新卒2年で会社を辞めた話 6】

2016/07/06

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新卒2年で会社を辞めた話 6。

 

前回の話

f:id:hiyorico:20151225230634j:plain覚悟を決めて全力で取り組めば、辛い仕事も楽しくなる【新卒2年で会社を辞めた話 5】
新卒2年で会社を辞めた話 5。 前回の話  自分のやったことは、自分に返ってくる覚悟を決めて、自分と戦う10月頃には、「私は、もう大丈夫だ。」と思った...

 

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私なりの『生きる意味』

私がいなくなっても、何も変わらない

『辛い』『死にたい』ということを考えなくなってからも、『生きる意味』的なことが、頭の中をぐるぐるとまわりだすことはあった。
私は、他の誰かにとっての、絶対的な存在ではなくて、私がいなくなっても、他の人たちには、それまでと変わらない生活が続く。

ある日、シャワーを浴びている時にも、同じように「私って、なんのために生きているんだろう?」と、ぼーっと考えていた。

 

私がいなくなったとして、誰が悲しんでくれるんだろう?

 

たぶん、親にとって、子供は絶対的な存在なんじゃないかと思った。もし、私に子供が産まれたとして、その子がいなくなったら、私は死ぬほど悲しい。

でも、今の私に関していえば、私の母には、私がいなくなったとしても、私の妹がいる。さらに、私の母には、いつからかわからないけど、たぶん、彼氏がいた。娘たちには秘密にしているつもりだろうけど、なんとなく、そうだとわかった。もし離婚する前からの浮気だったら最悪だな、と思うくらいで、べつにどうでもいい。

でも、父と別れても、彼氏がいるんだったら、「やっぱり、私がいなくなっても平気じゃん。」と思う。

 

私が、他の人ではない絶対的な存在になれるとしたら、私がいなくなったとして、一番悲しんでくれるとしたら、それは、私の彼氏や旦那さんだろうと思った。

 

私には、信頼できる彼氏がいた。学生時代から5年間付き合っていて、このまま付き合っていたら、いつか結婚するだろうなとぼんやり思っていた。

でも、社会人になってから、その人とは、進んでいく未来が重ならなくなったと感じるようになった。社会人2年目の夏に、仕事が一番辛かった時にも、私はその人に何も言わなかった。昔は、辛いことがあったら、その人になら打ち明けられたのに。仕事で精一杯で、会いたいと思う気持ちの余裕も無くなった。私はその人と別れた。

 

シャンプーをしながら、ぼーっと考えた。

「私には、私のことを一番に、大事に思ってくれる人はいないなぁ。」

「母にさえ彼氏がいるのに。」

 

私はひとりだ。

 

今、私がいなくなったとして、一番悲しんでくれるであろう母でさえ、彼氏がいて、私の妹がいて、きっと今までどおり生きていくだろう。

 

生きている意味なんて無いなら、自分で決めよう

私がいなくなっても、何も変わらないなら、私が生きている意味ってなんなんだろう。

 

「私が生きている意味なんて無いんだ。」

「生きている意味は無くても、まだ、死のうとは思わないな。」

 

湯船につかりながら、ぼーっと考えた。私は元気だし、たぶん、今のところは、このまましばらくは生きていく。

 

「意味は無いけど、せっかく生きてるんだから、

 じゃあ、とにかく、楽しく幸せに生きた方がお得かもしれない!!」

 

私にとっては、ものすごい大発見をした瞬間だった。

 

でも、じゃあ、生きる意味や仕事をする意味として、よく言われている、『社会貢献』『人の役に立つこと』ってなんだろう?

 

「自分ひとりだけが、楽しくて幸せでいるよりも、

 みんなで、楽しくて幸せになった方が、自分も、もっともっと楽しくて幸せになれるよ!ってことかな?」

 

ずーっと考えていた、私にとっての『生きる意味』に、私なりの答えが出て、すっきりとした気分だった。

 

 

「せっかく生きているんだから、私は、楽しく生きればいいんだ!」

 

 

この1年間を乗り越えた幸運

大晦日の静かな幸せ

大晦日、私は、東京の部屋で、ひとりで過ごしていた。

今までのお正月も、実家には帰らずに、東京で過ごしていたけど、いつも、彼氏や友達がいた。でも、今年は、人生で初めて、本当にひとりっきりだった。

 

私は、年末の雰囲気が好きだ。クリスマスが終わってから大晦日まであっという間だけど、慌しいながらも、街を歩いている人たちが、みんな幸せそうな顔をしているように見える。

一年間、良いことも悪いこともたくさんあったけど、また新しい年が始まる。

 

ひとりっきりの大晦日は、とてもささやかだった。

年越し蕎麦と、祖父母の家で親戚一同集まっていたら、テレビを観ながらかじっていたであろうお菓子やおつまみをすこし、スーパーで買ってきた。掃除をして、早めの時間にゆっくりお風呂につかって、お蕎麦を食べた。

私はテレビを持っていなくて、NHKラジオで紅白を聴いた。

 

やっと、仕事を離れて自分のことを考える

いつもまともな食事もせず、朝から晩まで仕事だけど、さすがに、大晦日と元日は仕事のメールも呼び出しの電話もないだろうと思って、やっと、心からほっとできた。誰にも邪魔されず、部屋でゆったりと過ごせることが幸せだった。

一年間の振り返りをしようと思って、ノートに、今年あった出来事を、色々と書き出してみたりした。

 

私にとっては、本当に辛い、たぶん人生最悪の一年間だった。

でも、たぶん、人生で一番、全力で頑張って、色々なことを考えて、乗り越えた1年間でもあった。社会人として、営業として、まだまだ全然ダメだけど、それでも、最初の頃に比べたら、できることも多くなって、とても成長したなぁと思った。

 

その時々には、精一杯でわからないけど、振り返ってみると、気づけることがたくさんある。

仕事で大変だった夏の頃、本当に辛かった。両親が離婚したこと、上京するまでの実家で暮らしていたときのことも、思い出してみると、悲しい。

 

ずっと、もっと、頑張り続けなきゃ

ひとりで我慢する強さと弱さ

私は、私の周りにいる友人たちと比べると、わりと苦労の多かった人生だったかもしれない。

 

私はたぶん、子供の頃から、人に頼ることが苦手だ。

家では長女で、学校ではいつも真面目な良い子だった。親にも友人にも、悩みを相談したことがない。愚痴や弱音を言ったとしても、本音は話さない。「私はただの、真面目なおとなしい子だ。でも、忍耐力だけはある。」高校までは、そんなことを思っていた。

何かあっても、ひたすら我慢して、辛いことや嫌なことが通り過ぎるのを待った。

 

私は、自分のことを、精神的に強いと思っていた。

実際に、客観的にみても我慢のきく方ではあると思うし、友人たちにも強メンタルだと言われる。

 

一方で、自分のことを、とても弱いとも思っていた。

私よりもっと大変な仕事で、明け方までとか、毎日吐きながら働いているという人を知っていた。

家庭のことでも、私よりずっと大変な環境で育った友人だっている。本人たちは、何も言わないけど、実は想像を絶するような生い立ちだっていうことを、風の噂で知る。

 

そういう人たちと比べると、私なんかが弱音を吐くのは、甘えでしかないと思っていた。

 

私の弱さは、もっと辛い人と比べたら甘えだ

私の親友、たぶん、この子も私のことを親友だと認めてくれると思うんだけど、そのくらい仲が良くて大好きな、私の数少ない友達が、社会人になって自殺未遂をした。

 

その子が、大変な家庭で育ったということは知っていた。仕事も辛いと言っていた。 

ある日、隔離病棟に入院していると連絡があって、やっと私が会ったときには、げっそりやつれていた。首と、手首に、はっきりと傷跡があって、ピンク色に肉が盛り上がっていた。その子や、他の子の、リスカ跡を見たことは何回もあったけど、本気で消えようと意思を込めた傷は、リスカとは全然違った。

「本気で悩んで、辛い思いをしたら、こうなるんだ。」

 

その子は、今は元気になったけど、たぶんもう一生働けない。

 

その子に比べたら、私は恵まれている。全然、辛い思いなんてしていない。自分を傷つけたこともない。私の辛いという気持ちは、ただの気まぐれみたいなものだ。

 

私よりも、もっと、ずっと辛い思いをしている人はいくらでもいる。

それなのに、私が「辞めたい」とか「死にたい」とか思うことは、もっと辛い思いをしている人たちと比べたら、甘えだ。私なんかが弱音を吐いたら、もっと辛くても頑張っている人たちに対して、失礼だ。

 

私は、もっと頑張らなきゃ。

 

ずっと、そう思っていた。

 

今ここにいる幸せ

元気に生きているだけでもすごい

大晦日に、ひとりで今年一年間を振り返ってみると、なんだか、辛かった色々なことが、とてもどうでもいいことのように思えてきた。

今までの、たくさんの我慢をして耐えてきたこと、仕事で本当に大変だった夏の時期、いつ、心が折れてつぶされていてもおかしくなかった。

でも、なんとか乗り越えられた。

 

こうして、元気で、働いていることが、それだけで奇跡のように思えた。

 

「今、こうやって、生きてるだけでも、すごいな。私、幸せだ。」

 

周りの人に支えられて生きている

ラジオで紅白が終わって、ゆく年くる年が流れてきた。災害とか戦争・平和とかの話題をぼんやり聴きながら、しんみりしたというか、本当に、みんなが幸せになれますように、と思った。

 

「私は、今年一年、自分のことで精一杯で、いつもせかせかしていて、外のことに目を向けたり、周りの人に優しくしたり、全然できなかったな・・・。」

私は、いつも、周りの人に助けてもらってばかりだ。

 

ラジオで年越しのカウントダウンがあると思っていたら、突然、外で花火が上がって、新しい年が始まった。

ラジオからは、初詣の活気にあふれた様子が流れてきて、みんな幸せそうだなぁと思った。

 

なんでもできる充実感と、25歳の未来への希望

2015年、私は25歳になる。

 

なんだか、「人生で一番変わる、転機の歳になる」という確信がわいてきた。

これから、私は何をするんだろう。

1年後、どうなっているんだろう。どんな成長をできているかな? どこに行って、誰と会って、どんな考え方をしているのかな?

なんか、ワクワクするというか、今、この瞬間に充実感がある感じ。

 

仕事を辞めて嬉しい!とか、もっと頑張ろう!っていう気合いとかではなく、心は静かなんだけど、じんわりと、「今」が幸せというか。

私はここにいるだけで幸せなんだ、なんでもできるんだ、みたいな満たされた気分だった。

 

「年越しに、ひとりで部屋に座っていて、こんなことを考えているなんて、客観的にみたら、かなりやばいなぁ。笑」

色々考えすぎて、ついに何か悟ったのかも。

 

怪しいスピリチュアルや宗教の信仰みたい、と、我ながら思った。

でも、この1年間、やばい状況や、思考にずっとさらされてきてたわけだし。まあいいや。

 

しばらくラジオを聴いて、ネットで、世界のカウントダウン中継を観て、幸せな気分で眠った。長らく感じたことのなかった安心感や、ワクワク感で、やっと、心からほっとして休めた。

こんな、ひとりっきりの年越しも、たまには、良いものかもしれないと思った。

 

 

そして、2015年が始まった。 

 

なんのための仕事なのか?

去っていく人、残される人

全力で仕事に取り組み始めて、無駄なことを考えないようにして、いつの間にか、「辞めること」を忘れて、働きすぎてしまった。予定していた、ボーナス後の退職のタイミングを逃していた。

 

私が辞めるつもりだったタイミングで、3人目の、営業の同期の女の子が辞めた。辞める理由はそれぞれだ。営業が向いていなくて事務をしたいとか、留学するとか、他のやりたい仕事を見つけて転職するとか。

本当に辞めちゃう子は、周りには何も話さない。ある日突然、「本日で退職することになりました。」とメールが来る。

彼女たちも、きっと、ものすごく辛かったんだろうと思う。

 

残る側の人間は、辞める子には、何も言えない。

ただ、私は、彼女たちのことが大好きだから、これからも関係が続くといいなぁと思っている。「元気で頑張ってね!また遊ぼうね!」とだけ、連絡する。

残された側は、辞めた子にある種の羨望を向けつつ、飲み会で「これから〜〜をするらしい」とか噂話をして、また、日々の忙しい業務に引き戻される。また、不満を言いながらも働き続ける。

 

私は、今のところ、「仕事が好き」だと言って働いている同世代に会ったことがない。みんな、ずっと、できることなら「辞めたい」、と言いながら仕事を続けている。もっと上の世代でも同じだ。

私が今までに出会った会社員で、「仕事が好き」で「やりがいがある」なんて言うのは、就活のときの人事と、辞める人間を引き留めるときの役員くらいだ。

 

 

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